2014/11/06

ローマは・・・

私の上司の1人(日本人・インド駐在歴3年強)が、ついこの間、休暇で訪れたローマから帰ってきた。

家族とまあまあ楽しい時間をそれなりに過ごせたらしいが、ローマの感想は・・・




「ローマ、汚かったね」





うん、知ってる。

ローマは美しいからといって、街の綺麗さを期待してはいけないのよ。

とは言っても、ゴミだらけのインドに住んでいる人からも「汚い」って言われるのはねぇ・・・もうちょっと、ローマは頑張ったほうが良いんじゃないかしら。

でもローマのために言うと、ここグルガオン(デリーの近く)よりは1万倍も素敵よ。

2014/10/29

プッチーニオペラに登場するダメ女から学んだこと



写真:TimeToLoseより
日本人だと、オペラの曲をCMで聞いたとか、海外オーディション番組で有名になった人の曲を聞いたことがある程度で、オペラを劇として丸々1つ観たことがある人は多くはないかもしれない。

でも、オペラって意外と面白い。もちろん音楽を楽しむことも重要な要素だけれども、ストーリーから色々と学べることがある。

今回は、イタリアの作曲家プッチーニ作の有名なオペラ『蝶々夫人(Madama Butterfly)』に登場する女性ー恋愛においての"ダメ女"ーを考察し、 "ダメ男"に対する"ダメ女"の行動とその結果、そして考えられる解決法について学んでいきたい。


悪いのは誰?
ーマダム・バタフライの場合ー

 長崎を舞台にしたオペラということで、日本人にも有名な『蝶々夫人』。駐留米軍人として日本にやってきたピンカートンは、あるつてで、良家生まれの"芸者"蝶々さん(この時はまだマダムではない)を結婚相手として紹介される。結婚となれば、一生を共にするという信念と相手への責任が重要だが、実はこのピンカートン、結婚に対して浅はかな考えを持つ男であった。

恋愛における"ダメ男"〜自分勝手な無責任男〜

"ダメ男"の定義は色々とあるだろうが、『蝶々夫人』に登場するピンカートンは"ダメ男"の要素をいくつも兼ね備えた、女性にとってのクソ野郎である。

実はピンカートンには、すでにアメリカに残してきた婚約者がいたのだ。それなのに、ちょっとお見合いの場で蝶々さんと話しただけで、彼女の魅力にクラクラ〜ときて、"一時的にでも"彼女と一緒にいたいと思って、結婚してしまう。

そう、結婚よ、結婚。

別にね、婚約者がいながら、一時的に浮気心を抱くのは仕方ないかもしれない、うん。

でも、結婚はダメでしょう。もう、この時点でまず、アメリカにいる婚約者を傷つけているわけです。

もし、ピンカートンがマダム・バタフライ(ここからは、マダム)が一生を添い遂げるのであったならば。

でも、この愚かなピンカートン、劇中でこう歌っている:

 世界のどこでも、ヤンキーは運命に任せて碇を下ろす。あらゆる美女の愛を手に入れる。だから、俺は日本式に結婚するんだ。999年もの間、毎月いつでも契約を破棄できるという条件で!
ーアリア『Dovunque al mondo』より

この愚か者ーーーーー!(と、ピンカートンの同僚のアメリカ人も言っている。私たち女性の味方だわ・・・)

こういう考えが、後々女性をどれほど傷つけることになるのかわからない、単細胞男なのだ。一時的感情で女性に言いよるも、飽きたり、都合が悪くなったらポイとする男・・・

実際にピンカートンと蝶々夫人が結婚した3年後、ピンカートンは日本での任務が終わり、帰国することに。彼がとった行動? それはもちろん、蝶々夫人を正式な妻として一緒にアメリカに連れて行く・・・わけはなく、「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」なんて、具体的にはいつなのかはっきりさせず、一人アメリカに戻ったのである。

ピンカートンさん、普通3年間結婚生活をしていたら、情というものが移りません?3年間一緒にいても、その間に子供ができても、自分勝手な行動がとれるわけ?(答えはイエス)

帰国したピンカートンは、婚約者とあっさりと結婚。蝶々さんにはこの事実を自分から伝えるのは難しいから、知り合いのつてで伝えてもらおうと、自分の責任を放り投げる。ピンカートンの知り合いは、預かった手紙の内容を蝶々さんに伝えようとするも、蝶々さんが可哀想で、真実を伝えることはできなかった・・・

ある日、ピンカートンはアメリカ人の奥さんとともに、日本に一時的にやってくる。蝶々さんに会おうとするも、やっぱり怖すぎて、現実から逃げるピンカートン。代わりにアメリカ人奥さんが蝶々さんの目の前に現れて、こう提案する。「あなたの子供を引き渡してくれたら、私たちが育てます」と。

子供を受け取るために、ようやく蝶々さんのもとに現れることを決心したピンカートン。しかし時はすでに遅し。蝶々さんを目にした時は、彼女は自害していた。この光景を目撃して、悲しくなったピンカートンは泣き叫ぶのであった・・・

蝶々夫人の描かれ方

別にあえて悪者として描かれたわけではないが、結果的には準主役級(男性群では主役) なくせに、あまりにも情けなさ過ぎる人物として観客から判断されてしまっているピンカートン。では、一方の蝶々夫人はオペラの中でどういう風に描かれ、観客から認識されているのだろうか?

ピンカートンと恋に落ち、一途な思いを持ち続ける素直な蝶々さん。

家族も捨て、財産も全てピンカートンに捧げ、ピンカートンが帰国する際でさえも、往生際悪くならず、彼が戻ってくることを信じる誠実な、思いやりのある、男をたてる大和撫子の鏡と言える、蝶々さん。

ピンカートンはもう自分のもとに戻ってこないと気づいたとき、ピンカートンやそのアメリカ妻をせめず、自分の小さい子供の将来のことを考えピンカートンに引き渡し、名誉のために死んでいった芯が強い蝶々さん。

という風にオペラでは描かれている。



でも、本当にそうなのかしら?


感動的なアリア?それとも・・・

このオペラで一番有名なアリアはもちろん『ある晴れた日に』。アメリカに帰国した夫を待ち続ける蝶々夫人に、お手伝いさんが「もう彼は戻ってこないのではないか」と言われた際に、「おだまりなさい!!!彼は戻ってくるんだから!」と歌うこの曲。

 ある晴れた日に、遠い海の彼方に船が見えるの。見て、あの人よ!でも私は彼を迎えには行かない。近くの岬であの人を待つの。彼は私のことを「かわいい奥さん、オレンジの花」と昔と同じように呼んでくれるでしょう・・・いつかそんな日が絶対に来るのよ!私は彼を信じて待っているの!
ーアリア『Un bel dì, vedremo』より

このアリアは、メロディーがドラマチックなうえ、何しろ高音続きの曲だから、これを歌う蝶々さん役のオペラ歌手も相当真剣に、必死に、情緒豊かに歌うので、 さらに感動的に聞こえてしまう。

やっぱり日本人女性の主人公というのもあって、ひいき目に見てしまう(聞いてしまう)分もある。

だから私も最近までは、このアリアは普通に感動的な曲で、蝶々夫人も皆に思われているように芯の強い女性だと思っていた。


でも。


ある日気づいた。(それは、ある晴れた日ではなかったかもしれないが。)

この曲って、なんて悲しすぎる曲なんだろう。そして、蝶々夫人って、何て可哀想すぎる人なんだろう、と。(結末を知っている観客からしてみれば)絶対に戻ってこないピンカートンを信じ続け、最後は自分を破滅に導いてしまうのに、それを知らずにこんなにひたすら待ち続ける、何て可哀想な蝶々さん・・・

そこまで思うのはまだよかったけれども、さらによく考えると、この曲にも、蝶々夫人にも腹が立ってくる。こんなバカ女を描いて、プッチーニは日本人をバカにしてるの?って被害妄想なんてしてみてしまう。

なぜこんな風に私が思ったか、説明させてください。


待って、待って、待ち続け、待ち疲れさえもしない女

"自分に尽くしてくれる女" というものは、男の憧れなのかもしれない。もしかしたらプッチーニが生きていた時代では、そういう女が"いい女"だったのかもしれない。でも、現代に伝えられている恋愛ルールにおいては、蝶々夫人の行動は全くもって、自分を"都合のいい女"になり下げるものだと言ってもよい。

これは皆さんご承知のことですが、男は女を追いかける生き物で、女は男に追いかけられる生き物だとのことです。なので自然に基づいて、女は自分を好きになってくれた男と一緒にいた方が、自分が好きになった男と一緒になるよりも、幸せになる可能性が高いそうです。

だから、多分、ピンカートンと結婚したところまでは、別に蝶々さんは何も悪くない。ピンカートンは最初から、蝶々さんとは一時的な付き合いだと思っていても、彼女はそのことを知らずに結婚したのだから、悪いのは100%ピンカートンである。ここまでは、仕方が無い。

問題はピンカートンが蝶々夫人を置いて、一人アメリカに帰った後である。客観的に見て、普通愛している奥さんを日本に置いてきぼりにするはずはない。はずはないことをピンカートンがしたということは、彼は蝶々夫人を愛していないのである。100歩譲って、日米間の政治的問題で蝶々夫人をアメリカに連れて行けなかったとしても、好きだったら、ちょくちょく会いにきたり、手紙を毎週送ったり、何かしらの手段で蝶々さんとの繋がりを保つでしょう。それさえも彼はしなかった。ピンカートンは完全に蝶々夫人との連絡を閉ざしたのである。

つまり、現代に置き換えると、ピンカートンは蝶々夫人にメールもLineメッセージも全く送らなかったのである。フェードアウトである。

男は女に連絡をしなくなった時は、その女への興味を失った時である。どんなにかつて彼女のことが好きだろうと関係ない。もう好きではなくなったのだから、彼女とはもう、関わりたくないのである。

そうなったら、もうどうしようもできない。捨てられたくない女は立場が逆転したように、男を追いかけ、男に連絡するという行動に出るが、これは余計嫌われるという結果に終わる。この点では、蝶蝶夫人は何もしていない。ピンカートンにこれっぽっちも連絡を取ろうとしていない。その行動は正しい。

だからって、ずーーーーーーーーーーーーーっと待ち続けているのが良いのかと言えば、それも完全な間違いである。

確かに、逃げた男を放っておいたら、そのうち男がまた気が変わって、女のもとに戻ってくるかもしれない。でも、そういう男は信用がならぬ、やめておいたほうが良い。それなのに、そんなやつかもしれない男を蝶々夫人は待ち続けた。


受け入れたくない現実を自分の都合の良いように解釈するダメ女

周りから親切にも、「ピンカートンを諦めたほうが良い」と助言を受けているにも関わらず、もしくはそれ故ムキになるのか、「彼は絶対帰ってくる」と自分の意見を突き通す。だって、「彼が『帰ってくる』って、言っていたのだから」。ここまでくると、この女、もうどうしようもない。

もしかしたら、蝶々夫人はピンカートンを信じ続けていたのではなく、"信じ続けたかった"のかもしれない。彼が戻ってこない事実を受け入れるのは辛いから。もしくは、ここまで信じ続けてあげたら、彼もさすがに戻ってくるだろうと、勝手な解釈をしたのかもしれない。

もしくは、こう、彼を待ち続ける自分に酔っているかもしれない。

いずれにせよ、現実に背を向けて、 ありとあらゆるシチュエーションを自分の頭の中で作り上げ、ピンカートンが未だに戻ってこない理由を正当化させたからこそ、待って、待って、待ち続けられたのだろう。そのおかげで、自分の未来への希望が消えていくことも考えずに・・・


ダメ男を待ち続けた女の未来

ダメ男(もう彼女への興味を失い、絶対に彼女のもとに戻るつもりもない男)を3年間も待ち続けた蝶々夫人。その結果は、3年の間に、歳をとって、経済的にも苦しくなって、再婚のチャンスも逃がして、挙げ句の果てには、やっとピンカートンに会えるという時に、自ら死ぬという決断をしたというものである。自分の子供がいるのに、現実を突きつけられて生きていく意味をなくしたから自殺という行動を起こした蝶々さんには、共感を持つことができない。男のために自分の未来と、子供への責任を放棄したなんて、同じ女としては情けないとしか言いようがない。


マダム・バタフライから学んだこと

蝶々夫人のように、連絡の取れない男をいつまでも待ち続けてはいけない。なぜなら、彼はあなたのことを、あなたが彼を想っているほど、あなたに情をもう持っていないから。連絡が取れないということは、そういうことだから。

傷つきたくないからといって、現実逃避をしてはいけない。確かに彼が去ったという事実を受け入れるのは辛いが、その傷は絶対に、"いつか晴れた日に"でも癒える。時が経てば、必ず彼への思いは薄くなっていく。

逆にいつまでも彼に執着していると、 本当に現実に引き戻されたときの傷はなかなか癒えない。そして、新しい、今度は本当に運命の人かもしれない男にも出会えない。いつでも彼が戻ってきてもいい状態にしていると、自分の生活が、人生がままならなくなってしまう。

そして最後にーこれが一番重要なことだがーたかが男のために自分の身を滅ぼしてはならない。自分の身を投げ出す相手がそこまでの完璧な男だと信じ込むのは、ただの妄想にすぎない。どんなに彼のことが好きだろうと、彼だって結局、ただの人間である。自分の命を捧げるほどの愛は、自分の子供に捧げるべきであって、男ー特にピンカートンのようなダメ男ーになんかあげてはいけない。

教訓:
もし彼と連絡が繋がらなくなったら・・・
"ある晴れた日に"彼とまた元通りの関係に戻れるなんて期待せずに、
すぐに彼のことは忘れて、
"ある晴れた日に"新しい人に出会うことを楽しみに生きていったほうが良い。絶対に。
 



2014/10/27

【インド上級者編?】デリーでインドっぽくないことをしたくなったら


さて、突然ですが、質問です。
(Yes/Noで答えてください。)

あなたは、インド・デリーに行く予定がありますか?



インド観光は楽しみだけれども、インド料理は苦手ですか?
もしくは、別に観光中に毎回インド料理じゃなくてもいいと思いますか?



旅行資金は多いですか?



ちょっとお金持ち風な雰囲気に包まれてみたい?



その、いわゆるインドのマハラジャ級の金持ちじゃなくて、まぁまぁそこそこのお金持ち風の雰囲気だけれども、それでもいい?



インドにいるくせに、ヨーロッパにいるような錯覚に陥ってみたい?



あなたがデリーにいる時期は、秋〜冬の季節?



そこまで食事の味にはうるさくない?



歌のうまさ(演奏の質)にこだわりはない?




もし、以上の質問全てにあなたが当てはまるのであれば、ぜひ世界遺産クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)の近くにあるレストラン「Olive Bar & Kitchen ("One Style Mile")」に寄ってみてください。

レストランは、Qutub Minarから歩いて4分程度のところにあります。 Qutub Minarの入り口を背にして左方向に進みます。そして、Qutuba Minarの敷地に沿うようにして緩やかな坂を上がって行きます。白い建物がいくつかあるので、その方向に歩いて行くと、一番最初にある写真のように「One Style Mile」にたどり着きます。

2003年にオープン以来、数々の賞を受賞してきたという、このレストラン。
ということは、食事が美味しいということだが、それ以上に、建物と雰囲気が素晴らしい!

地中海料理を提供しているからなのかどうかはわからないが、レストランの雰囲気は、まさに地中海側のヨーロッパ(ギリシャとか)。表現がそのまま過ぎるけれども。。。

じゃあ、ただ単にヨーロッパの建物をまねして作ったレストランなのかというと、
違う!!!

このレストランがある建物はつい最近建てられたものではなくて、18世紀に建てられて、Saraiさんという人物が当時所有していたハヴェリ(Haveli)、つまり、インドの(豪華な)個人マンションの一部を使用しているのだ。

だから、なんとな〜く、優雅な香りが漂っているような・・・気分。

ちなみに当時Saraiさんが所有していたハヴェリは1918年に取り壊され、取り壊されたパーツがそれぞれ違う人たちのものに渡り、現在「Olive Bar & Kitchen」が入っている建物はSarai家とは全く関係のない人が所有しているとのこと。

さてさて、白い壁の建物に似合うものと言えば・・・緑よね。

もちろんレストラン室内で食事もできるけれども、屋外で食事をすることをオススメ。お昼のランチ時間、ちょうど良い日光を感じながら、立派な木の葉が作る木陰の下で食事をするのって、ものすごく・・・・

ヨーロッパっぽい。

でも、あまりにも暑かったり、寒かったりしたら外で食べられない。だから、デリーで一番良い季節の秋〜冬の初旬がオススメというわけ。

レストランにはインド人も多いけれども、良いところの人たちばかり(かといって、バリバリに、パーティーに出席するような格好はしていないので
ご安心を。)そして、インドに住んでいるような外人も多い。(日本で言う、駐在員たちとその家族?)観光客っぽい人は、今回私が行ったときは、見かけなかった。

だから、「ちょっとワタクシ、普通の観光客とは違くってよ、モダンなインドのハイソな感じを楽しみたいの」っていう人なら、結構気に入るかも。

レストランの雰囲気はこれくらいにして、肝心の食事の感想を。

うーん、まぁ、美味しかったけれども、別に感動するほどの美味しさではないかも。普通に「美味しいね」って思う程度の、美味しさ。

ただ、インドに在住している日本人から言わさせていただきますと、普通に美味しい魚介類とか、牛肉のハンバーガーを食べられる、ということは、

普通じゃない。凄いことなのだ!!!!

(とは言っても、私にとっては、「まあ、すごいね」程度。他のインド在住の日本人だったら、もっと感動する。)

そういう裏事情を考えたら、まあ、食事の味も上出来。あとは、日曜日のブランチ(ビュッフェ)が一人税込みRs3200(約5500円)、もしくはアルコールなしでRs2500(約4300円)が安いと思うか、高いと思うかの問題である。

その他一点だけ残念点をあげると、ラウンジミュージックとして流れていた生ボーカルが微妙だった点である。男性と女性が、録音されたバックミュージックに合わせて歌っていたのだけれども、なんかビミョー。下手じゃないけれども、上手くない。「とりあえず何かしら音楽が流れていたほうがいいでしょ」的な感じの出来具合だから、特に演奏を楽しむことはできなかった。

ただ、これは別に批判ではない。ただ単に、そこまで上手ではなかった、と言っているだけ。


総合的にレストランを評価すると、10点中8点。その主な要素はもちろん、レストランがある建物と、雰囲気である。

今はちょうど改装中だったが、レストランと同じ場所にデザイナーズショップが新たにできるみたいなので、ついでがてら、寄ってみるのもいいかもしれない。

あ!あと言い忘れていたことがあった!

今回写真は撮っていないけれども、というか、撮っていないのが当たり前なのだけども、
レストランのトイレのデザインがとーーーーーっても、素敵で、感動した。

外と同じように白い壁で作られていて、洗面所がすっごくオシャレだったの。なんていうのかしら、コロニアル風?

ああ、こんなトイレうちにも欲しい、というか、ここ綺麗すぎるから住めるんじゃないの?って思うほど。

もしOlive Bar & Kitchenで食事をする場合は、トイレには必ず寄ってください。
で、できればトイレの写真を撮って、私に送ってください(笑)


以下、レストランの情報と、私が撮ってきた写真をどうぞ↓↓↓

Olive Bar & Kitchen
住所:One Style Mile, Haveli No. 6, Kalka Das Marg, Mehrauli, New Delhi, DL 110030 インド
電話番号: +911129574444(事前予約をすることをオススメ)
営業時間: 12時30分~0時00分
ホームページ: http://www.olivebarandkitchen.com/

その他、同系列のレストランがムンバイ、プネ等にもあるようです。














【関連リンク】
お気に入りのローマの観光ルート
デリーでオススメ、見学だけOKなアンティーク家具屋さん

2014/10/10

ドバイのバルコニーから世界を見渡す






1年前のちょうど今頃、私はドバイにいた。

大学を卒業し、社会人になる直前に、もう二度と行く機会は相当ないであろうインドへの旅行中に、
3日間、ドバイに立ち寄ることにしたのだ。

なぜ急にドバイかって?

私も『ドバイ』なんという、中東にあるアラブ首長国連邦の1部分のことなんて、気に留めたことはなかった。

でも、イタリア留学中に出会った、私が当時好きだったイタリア男がドバイに短期留学をした、
という話を聞き、しかも彼がドバイ好きだと知り、ドバイに行ってみたくなったのだ。

くだらない理由だが。

そんなくだらない理由で来てみたドバイだが、私の好きな場所の1つとなった。
というよりも、ここで働きたいと、本気で思った。

ーーーーーー

私は今、ドバイに何年も住んでいる、スウェーデン人女性建築家のアパート23階のバルコニーの椅子に腰掛けている。目の前には、世界一高いビル、ブルジュ・カルファがそびえ立つ。
このアパートも結構な高さがあるはずだが、ブルジュ・カルファはそれよりも遥かに高い。

今日は、ドバイ滞在の最終日だ。 インドへの旅に戻る前に、今夜はバルコニーからドバイ・ファウンテンのライトショーを楽しむ。ただの噴水だけなのに、なぜかとっても楽しめる。
世界一の高層ビルのすぐ側にある、世界最大の噴水だけあって、23階からの眺めでも、水しぶきがよく見える。

ショーの公演は1回5分。終わった後少し経てば、また再開される。私はそれを何度も何度も繰り返し眺める。この眺めはなかなかゴージャスだ。この夜景を見ている私は、間違いなくリッチな人々の仲間入りだ。

ブルジュ・カルファを見上げながら、ドバイ・ファウンテンを見下ろしながら、ある曲を思い出す。

"Moon river, wider than a mile.....There's such a lot of worlds to see......"
(ムーン・リバー、1マイルよりも広い。見るべき世界がたくさんある。)

『ムーン・リバー』 といえば、ニューヨークの曲だ。オードリー・ヘップバーンがニューヨークを舞台にした映画『ティファニーで朝食』でアパートのバルコニーで歌っている曲だ。だから、ドバイのための曲ではない。

しかも、『ムーン・リバー』の歌詞って意味不明。全然ドバイ向けの曲ではない感じ。

でも、このちょっとメランコリーで、でもリッチで優雅な感じの曲調で、”見るべき世界がたくさんある”と歌詞にある曲が、今私がハイエンドのダウンタウンドバイにあるアパートのバルコニーに座っている心境を語っているのだ。

私がドバイで会った人たちは、今まで知り合うことのなかったような人たちだ。
そして彼らは、私が経験したことのない、憧れを抱かせる生活を送っている。
ように見えた。

アパートの1室を貸してくれたスウェーデン人女性に誘われて、ディナーに参加した夜。
彼女の友達が集まっていたが、とても国際的だった。

建築家のスウェーデン人女性。
エンジニアのエジプト人男性。
コンサルタントのシリア人男性。
何をしているのか忘れてしまったが、レバノン人女性。
そして、こちらも何をしていると言っていたか忘れたが、途中から参加してきたアメリカ人女性。

彼らは全員、30代・40代のように見受けられた。

全員違う国籍の人々が集まると、英語での会話となる。全員とても流暢な英語を話す。
そして、違う国籍の人々がその夜何について話したかというと、まぁ、色々と知的なトピックについて議論していた。

例えば、香水について。彼らの知り合いに香水の香りを配合するフランス人男性がいるらしい。彼はなかなか、その分野で成功しているという。

そこで、レバノン人女性が言う。
「彼がフランス人だから、パフューマーとして成功したのよ。フランス人というブランドがあるもの。これが例えば中国人とか、違う国の人だったら、成功するのは難しいと思うわ」

これに対して、スウェーデン人女性建築家が言う。
「そんなことないと思うわ。例えば日本人とかが香水の香りを作ったとしても、成功するはずだと思うわよ」

こんな知的そうな、少なくとも香水のパフューマーに関する話題なんて、日本のレストランのテーブルから聞こえたことなんてない。

私は隣に座って、シーシャを吸っているシリア人男性に言う。
「ドバイって、ニューヨークやロンドンよりも、もっと国際的に感じる。もっと安全だし、人々ももっとオープンだと思う」

シリア人は答える。
「そうだね。ドバイはとても安全だよ。それに、そう、ニューヨークやロンドンよりも国際的だ。向こうでは、人種同士で固まる傾向があるけれども、ドバイは人々が交わっているから」

これにより、私はドバイを、ニューヨーク・ロンドンを超える国際都市と認定し、 私もここで国際人になるのだと思いに耽ったのである。

それにもう一つ。

ドバイに着いてからの3日間、デパートでも、サファリツアーでも、タクシーに乗る時でも、出会う人たち何人もから、
「ドバイに仕事を探しにきたの?」
「ドバイで働いてるの?」
と質問されたのである。

こんなことは初めてだ。
特に「仕事を探しにきたの?」なんて質問をされることは、とても不思議だった。

でも、ドバイに仕事を求める人たちが多いと気づく。
ここで成功するということは、リッチになるということ。
『ドバイ・ドリーム』である。

だから、この3日間で「私もここで働くんだ」なんて思ってしまったわけである。
砂漠の中に浮かぶ、リッチな生活を思い描いて。
 ーーーーーーーーー
その1年後。

私はドバイではなく、インドで働いている。

ドバイでの仕事はなかなか見つからなかったから、地理的に近いインドに来たというわけ。

4時間で行ける距離にあるから、ちょくちょくドバイに行って、コネクションを作って、
ドバイでの仕事を待とうという思惑だ。

でも、誤算であった。

これは私の心理的問題なのだが、地理的に近づくと、そこへの興味が薄れてしまうのだ。
こう、いつでも行ける、と思うと、結局行かずじまいになる、というような。

インド4ヶ月目だから、もうそろそろドバイに行こうとは思うけれど、なかなか腰が重い。

それに、ここインドに住んでいると、ドバイに出張に行く日本人に会うことが多いのだが、その人たちのドバイの、少なくともビジネスに関するイメージは、あまりよくない。ビジネスのやり方が、陰気だと言う。どういう意味かはわからないが。

そして、大事なこと。
ドバイにはインド人が多く住んでいる。

ここインドで大量のインド人を見かけているから、インドの外では、あまりインド人に会いたくないな、なんて、意味不明なことを考えてしまう。

もちろん、誰と過ごすかは、自分で選べるのだが。

そんなわけで、私のドバイへの忠誠心は薄れているのだが、それでも、やはりドバイはメルティング・ポットだと思う。 ドバイは、自分が世界と繋がっていると感じられる場所なのではないかと思う。

そんなことを信じて。私はインドの次に住む国を探している最中である。



2014/06/23

夏のインドにはユニクロ




私は今まで全くユニクロがファッショナブルだとは思えず、なぜ世界中でショップが展開されるのか疑問だったけれども、日本で消費税が8%に上がり、ファストファッションの選択を余儀なくされてから、少し買うようになった。

それでも個人的にはZARAのほうが好き。

が、最近ユニクロで「イネス・ド・ラ・フレサンジュとのコラボ」企画として、なかなかオシャレなアイテムが登場している。しかもZARAよりも全然安い。ということで、インドに引っ越す前に、意外と多くのユニクロ製品を買っていった。

これが正解だった!

一番気に入っているのは、 「イネス・ド・ラ・フレサンジュ」ラインのラップドレス。赤とベージュの2色を購入したのだが、プライベート時(仕事から家に帰ってから・休日)にはほぼ交互に着回しをしている。


残念ながら、実際に自分で着てもこんな風にはならない。

だって、ものスゴーく楽すぎるから。

理由その①
20秒で着れてしまう。

理由その②
長袖&丈が長いので肌を見せないで済む(身長によるけど)。だからインド人にジロジロ見られくて済む(はず)。

理由その③
肌を隠してくれるけれども、ワンピースの生地が薄いから、インドの暑い夏でも、ジーンズを履くよりも快適に過ごせる。

理由その③
汗をかいて、毎回洗濯をしなくちゃいけなくても、すぐに乾く。ただし、色落ちするのは必修。(私は日本国外では洗濯機を使わないので、手洗いが楽なのは重要)

理由その③
ワンピースが安かったから、別に汚れても平気。だから、服に気を使ってあげなくても良い。

理由その④
以上の理由を見ると、なかなかダサい服装なのかな、と考えてしまうけれども、そんなことはなく、そこそこオシャレに見えなくもない。

理由その⑤
まあ、たとえ着ているモデル(=自分)の関係で、全然オシャレに見えなかったとしても、ここはインドだから、別にそこまで服装に気を使う必要なんてないし・・・理由その①〜その③が大事。

というわけで、ここ最近インドでは毎日同じ服を着ています。もう、ユニクロ、「ただ単に安い」とか、「ただ単に楽」なんて言って侮れない。毎日、重宝させてもらっております。。。


2014/06/14

デリーでオススメ、見学だけOKなアンティーク家具屋さん



Sharma Farms (in Chattarpur, Delhi)
インドに来たら一人暮らしをするだろうと考えていたから、日本にいた時からすでにインドのアパート情報とか、イン テリアショップの場所だとかをネットで調べていた。特に、家具を買って自分の部屋を一から作り上げる、というのがずっと憧れだったので、とにかくインドで インテリアショップを回ることを楽しみにしていた。

今のところ、完全に家具付きのアパートに泊まっているから、家具を買う必要はないのだけれども、事前になかなか良さそうなアンティーク家具屋さんを見つけていたので、ウィンドウショッピングとして、そこを訪れてみることにした。

場 所は、デリー、チャタプール(Chattarpur)にある、Sharma Farmsというところ。Chattarpurメトロ駅で降りて、リキシャで5分程度。50ルピーが妥当。Sharma Farmsといっても、ドライバーはわからないので、 「Lilli White Hotel」と言って、連れて行ってもらう。Sharma Farmsにはホテルのすぐ隣にある、門番がいるゲートを入るとたどり着く。


実 際に行ってみると、そこは家具屋さんというよりも、アンティーク家具のファクトリーという感じがした。さらに誇張して言えば、無料の家具美術館という感じ もする。そこにある家具は買えるみたいだけれども、店員さんらしき人も全くいない。いるのは、家具を修理している職人さんだけ。時期的にたまたまだったの か、お客さんは私のみ。好き勝手家具を見たり、写真を撮ったりしていたのだけれども、誰からも何も言われなかった。何か自由にさせてもらって、嬉しい。

欲しいのがいくつかあったのだけれど、聞ける人がいなかったから、結局家具の値段すらわからなかったのは、ちょっと残念。でも、とにかく素敵でオシャレな家具たちばかりで、無性にルンルン気分になりました。

ぜひぜひ、デリーを訪れる際は、チャタプールのSharma Farmsに寄ってみてください。見るだけなら、タダです。でも、見るだけでも楽しめます。















あ、ちなみにチャタプールで私が好きだったこと:野良犬を見かけなかった(*・_・*)



2014/05/13

突然ですが、インドに引っ越します




このブログ『ローマからの道』を始めてから1年が経ちました。昨年2013年1月から5月までにイタリア・ローマにある大学に短期留学をし、日本に帰国後、逆ホームシックにかかっていた頃に、ローマでの思い出に浸ろうとこのブログを始めたものの、やはり帰国後に始めたからか記憶が曖昧になり、あまり臨場感のある内容を書けずじまいに。しかも、この1年間で書いたブログ記事数はたったの29。(今回の記事で30。)さらに、全ての内容がイタリアに関することではない・・・

基本的に自分のために書きはじめたブログ。でも一応誰でも読めるようにはしているから、ちゃんとした文章を書きたいとも思っている。そんなわけで、『です・ます調』にしようか、『だ・である調』で書こうか、日本語で書こうか、英語で書こうか、毎回悩むものの、結局統一できずじまい。

公開しているブログ記事にも一貫性がないし、定期的に書いているわけではないので、いわゆるフォロワーという方たちは全くいないことは間違いない。でもブログの統計を見ると、ここ1年間でページ数が1万に達しているから(多分実際は若干少ないとは思うけど)、単発で、何かの検索に引っ掛かって私のブログを読んでくれた人たちがいるんだと思う。で、そういった人たちは、何かしらイタリアかヨーロッパに関心のある人たちなんだと思う。

でも、今後イタリアについてブログを書くことは滅多にないだろう。(もともとそこまで書いていたわけではないけども。)

なぜなら、私はインドで働くことに決めたから。早ければ来月にはインドにいるだろう。

多分、私の予想だと、ヨーロッパへの観光が好きな人は、きっとインドに対して良いイメージを持っていないと思う。 インドのゴミゴミとした感じに拒否感を覚えるかもしれない。

実は、私はイタリアに3度行っているが、インドには2度行っている。1度目は私が19歳のとき、2度目はイタリア留学から帰って少し経ったとき。今回の渡航で3度目になる予定だ。

1度目のインドの際は、まだ私も若かったので、全てをポジティブな視点で捉えていた。「この、今あるたくさんの問題は、いつか解決するだろう。たくさん問題があるということは、それだけ改善の余地があるということで、インドってなんて可能性に溢れているのだろう」と。(多分ご存知かと思いますが、インドには誰もが目にすることができる問題点がたくさんあるのです。)

でも2度目のインド渡航の際は、私の考え方は変わっていた。多分、ヨーロッパを知った後だからだろう。もしくは、私がいくらか年をとったからだろう。 人口の多さ、騒音、道の汚さ、文化的建築物保存への関心の低さ、カレーの匂いに嫌気がさした。(え、1度目には感じなかったの?となるけど。)そして、1つ気づいてしまったこと。「誰にでも明らかなインドの問題点は、絶対に解決することはない。」少なくとも、私が生きている間には。ここで私が言う“明らかなインドの問題点”とは、貧困であり、街の衛生問題である。(街に関しては、あのカオス状態“汚さ”が好きな人もいることは私も知っているが)もちろん、こういった問題はどこの国でもあるけれども、インドではそれが極端すぎて、誰にでも明らかなのだ。私が失望したのは、問題が明らかなのに、全く改善の兆しが目に見えないということだった。

そんなわけで、一時はインドで働くことを夢見ていた私も、2度目のインドで、その気持ちが全く消えたのだ。だから、今回インドで働くことになっても、その選択を自分でしたとしても、特に嬉しくはない。きっと今から1年前にインドで働くということになったら、私はものすごくワクワクしていたことだろう。でも今は、私は特にインドでの生活に対して何も期待はしていないのだ。

多分私はヨーロッパかぶれになったのだろう。あの落ち着いた、文化・歴史に重きを置く、住みやすい雰囲気を一度体験してしまうと、 どうしてもヨーロッパの国と、その他地域の国を比較してしまうのだ。だから、別にインドの街の雰囲気だけに拒否感を示したわけではない。イタリア留学から日本に帰った時は、それはそれは人の多さと街の汚さにショックを受けた。そして今でもショックは消えていない。

でも、そんなことをグダグダ言っても仕方がないのだ。現実は、私は日本生まれの、日本育ち。実家は日本にある。そして私は近々インドで働く、ということなのだから。だから、現実をひしと受け止め、少しだけポジティブに考えようと思う。つまりこういうことだ:

イタリア・日本・インド、この全く異なる国の共通点を挙げるとしたら、歴史の長さがあげられるだろう。ある説によると、日本は世界で最も古い国家らしい。つまり、世界で最も古い国家で生まれた私は、無意識的に歴史の長い国に惹かれたのであろう。そして、私は、首都育ちなのだ。一応東京生まれ・育ちなのだが、イタリアにいた時は首都ローマにいた。そして今度インドで働く際は、インドの首都デリー(付近)となる。やっぱり、首都って魅力的よね。でね、でね、ローマとデリーって実は共通点があるの♥それは、両方とも世界遺産を持っているということ。東京って実は23区にはない(小笠原にはたくさんあるのだけども)。だから私は世界遺産のある首都に魅力を感じてしまう。あとは・・・ローマって意外と雑多とした場所で、デリーに似てる。こんなことをイタリア人に言ったら、間違いなく怒られるだろうけども。でもイタリア・パルマに長年住んでいた日本人は、「ローマは汚くて嫌い」と言っていた。私も、最初にローマに着いた時は、「なんか汚い・・・」と思ってた。他にデリーとローマの共通点は・・・車が歩行者のために止まってくれない。運転手のマナーが悪い。あまり水の質がよろしくない。ナンパが多い(と言われる)。。。。。。

この辺でやめとこう。

とにかく、私が言いたいことは・・・きっとインドも魅力的な国だと思う。歴史も長いし、宗教と絡んで文化も発展したし、デリーあたりだったら、イスラムのムガル帝国時代に作られた建築物が素敵だし、イギリス統治下にあった時代に作られたものも残されているし。ただ、そういったことが、色々と隠れてしまっているだけで、全ての偏見をなくしたら、きっと素晴らしい遺産が見えてくるはず。ローマのように。

だからせっかくなので、今後はインドについてブログを書こうかと思う。(本業で力尽きなければ。)今のブログ内で書くのか、新しくブログを作るのかは迷っているけども。私にとっては、やっぱりローマが一番の思い出の場所だからこのままここでインドについて書くのも悪くはないと思うけども、新しく作るのも悪くはないと思う。もしインドに関するブログを作るとしたら、タイトルは『See without prejudice』に。ジョージ・マイケルのアルバム『Listen without prejudice』のような。

インドで働くことを機に、ローマでの思い出を引きずることは今日で止めようと思う。あれから1年経って、どんどん記憶が曖昧になっているのに、自分を騙して、思い出せないものを思い出だと言い聞かせていた気がする。忘れたくないことを忘れてしまった自分を認めたくなかったから。大事だと思っていたものが大事でなくなる気がして怖かったから。だから今までイタリアにこだわって、イタリアに関わる仕事をちょろっとしたり、つい最近もローマに行ってきたりしたけども、それももう終わり。

今日は、私が通っていたローマにある大学で卒業式が行われるらしい。私の知り合いも出席していて、今日で卒業だ。私は日本で通っていた大学を去年に卒業したけれども、卒業式は今年だったらしい。でも、自分の卒業式には参加しなかった。だから、勝手だけれども、今日を私の卒業式にしてしまおう。

今までの過去に、「さようなら」ではなく、「ありがとう」と、
そしてこれからの出来事に、不安と少々の希望を込めて。

Grazie di cuore della bella esperienza.

2014/05/04

3度目のローマは"Buona Pasqua"

フランシスコ・ローマ法王
Voice of Americaより


新卒の仕事をたったの半年で辞め、次の仕事を開始する間に時間があったので、再びヨーロッパに。

今回はポーランドがメインだったため、ローマ滞在は3日間。急遽1週間前に行くことを決め、急いで航空券を買うことに。8ヶ月ぶりのローマだから学校の先生に会おうかしら、と先生にメールをしたところ、「君がローマに来る時はちょうどイースターだから、私は実家の違う州にいる予定なんだ」という返信が。

イースター?あら、そんな時期だったのかしら。

って、えー!ちょうどイースターに重なるってことは、色々レストランとか、ショップとか、美術館とか休みになって不便になるってこと?!

(ああ、何でそんな時期に旅行の予定たてちゃったんだろう・・・)

イースターとは、キリストの復活を祝うお祭り。日本語では『復活祭』、イタリア語では『パスカ』という。 この祭日はキリスト教の人たちにはとても重要で、多分クリスマスの12月25日以上に重要かもしれない。イースターは、毎年日にちが決まっているのではなく、「春分後の最初の満月から数えて最初の日曜日」となっている。2014年度のイースター日は4月20日。そして私がローマに滞在していたのは、4月17日から19日だった。

"La Pasqua (復活祭)
ローマEatalyにて
 キリスト教の方達はイースター日当日のみお祝いするわけではなく、その前後1週間くらいを通してお祝いする。イースター前の金曜日は『聖金曜日』として、イースター後の月曜日は『天使の月曜日』として、祝日になる。というわけで、この祝日を利用してイタリア人並びにヨーロッパ人は1週間くらいの休みを取る人が多いのだ。(夏休み、クリスマス、正月に加えイースター休暇も取るヨーロッパ人、休みを取り過ぎだと思う・・・ずるいわ〜)

というわけで、イースター期間中にローマに行くことになったのですが、ここで一つ疑問が。わたし、去年のイースターの記憶が全くないのです。

去年の1月から5月までローマにいたから、滞在中にイースターが来たはずなのに、何で覚えてないのかなぁ、なんて考えていたら、わかりました。去年のイースター日は、 3月31日。ちょうどその頃は1週間の休みがあって、ニューヨークにいたのでした。(それでもニューヨークでイースターのお祝いがあったはずだけど、全然イースターの存在を知らなかった。)

じゃあ、ポジティブに考えて、ローマでイースターを楽しもう!と思ったら、実際に楽しかったです。イースターシーズンにイタリアに行けて良かった!


なにはともあれ、イースターの存在を知れたこと。そして、キリスト教の中心地でイースター時期を過ごせたこと。

復活祭当日は、私は朝早くにイタリアを出なければいけなかったので、当日の様子はわかりませんが、キリスト教徒はゆで卵を持って教会に向かうらしいです。

復活祭当日以外にもイベントが行われます。キリストが最後の晩餐を行った“聖木曜日”には、法王がどこかでミサを行います。また、法王は、キリストの死を記念する“聖金曜日”に『主の受難の儀式』をコロッセオにて行います。復活祭日翌日の月曜日は『天使の月曜日』ということで、祝日になります。

私はローマに木曜日に到着し、イースター日当日の朝には出発しなければいけなかったので、まともに出くわしたのは"聖金曜日”のみとなりました。

実は、法王が金曜日にどこかで演説か何かをするのは知っていたけれども、コロッセオで儀式が行われることは知りませんでした。

昼にふら〜っと、コロッセオに立ち寄ると、何だか、ディズニーランドのアトラクションに並んでいるかのように、人々が何かを待っている。しかも、テレビ局も来てる。ああ、何かイベント行われるのか。あ、もしかして法王の演説!?・・・そんな程度でした。(まぁ、結局のところ、私はキリスト教ではないから、そんなに詳しくないのです。)

せっかくだから、法王の演説を聞くために待とうかしら、とも思ったものの、イベントが始まるのは3時間後だとわかる。そして、どうやら人でごった返し、帰るのが大変になるということを知る。また、イベントがものすごく長い、ということも知る。

そういうことを考えると、「待つの、やーめた」となるわけです、私の場合。(だって、結局のところ、私はキリスト教徒ではないのだから)

儀式の模様が生放送で中継されるため、自分が借りたアパートに戻って、テレビで法王の演説を聞くことに決めました。

でも一つだけ問題が。儀式が行われるので、コロッセオ付近の道は規制されていて、近くを通るバスの運行も止まっていたのです。だから私は40分くらいかけて歩いてアパートに戻る羽目になりました。

夜の7時半になり、コロッセオで儀式が始まります。おぉ〜、なかなか素敵!こんなに人が集まるんだ〜、うーん、待ってて生で見たほうがよかったかなぁ、なんて思ったものの、30分も経つと、何だか飽きてくる自分が・・・

儀式というものは、例外なく、“前置き”というものが長いのです。肝心の法王の演説の前の習慣的な儀式が長過ぎて、私は法王の演説を聞くことなく眠ってしまいました。

結論:キリスト教でもなく、あまり詳しくもない私が、 敬虔的な人々が集まる『主の受難の儀式』の現場に立ち会わないという選択は正しかった。

イースター期間中にローマにいたにも関わらず、全然まともにイースターらしきイベントに参加していないじゃないか、と言われればそれまでですが、でも自分としては十分イースターの雰囲気を味わったので大大満足です。

店に行けば 、イースターのお菓子が売られ(買わなかったけど)、人々が“Buona Pasqua! (復活祭、おめでとう!)"と言い合うのを見るだけで、十分楽しいのです。

そうそう、人と言えば、今回は前回以上に、たくさんの面白い人たちを観察することができました。イースター休暇を利用してローマに来た観光客でいっぱいで、コルソ通りも、パンテオンも、トレビの泉も、スペイン階段も今まで見たことがないほどに、人でいっぱいに。こういう場合、ゆったりできないし、建築物そのものを楽しむというわけにもいかないから、せっかくだから人をメインに見て回りましょうと、見るべき視点を急遽変更。

バチカン市国
(後ろにいる大量の人たちは、教会に入るために並んでいます)

で、まあ、毎回思うんですけれど、ローマにいる人たちって、なんて面白いんでしょう!特に私は、スペイン階段がお気に入りになりました。観光客・ローマ在住らしき人が階段のところにズラ〜っと座って、おしゃべりしたり、ボケーっとしたり、いちゃいちゃしたり、本を読んだり、好き勝手やっているわけです。(その周りではもちろん、写真を撮る人たちでごった返しています。)その光景を見た私は、完全にウキウキ気分になって一人ニヤニヤしながら階段を上る・・・はたから見たら、超ハッピーな女子に見えることでしょう・・・

スペイン階段を指差して何やらディスカッションをする観光客


むむむむむ


こちらは、スペイン階段にて、飼い犬とデート(?!)を楽しむイタリア人のおじさん。私が階段を上る時は、こんな状態でしたが、下る時は犬を自分の頭にのっけて私に見せびらかしていました(でも、その時は写真撮らなかった・・・)

観光地いたるところが、人で溢れていた・・・と言うと、もしかしたら語弊があるかもしれません。実は今回初めて知った衝撃的なことがあるのです。

それは、私の思い出の場所、トラステヴェレにあまり人がいなかったこと!『ローマの休日』のロケ地にもなった真実の口も、サンタンジェロも、バチカンも近いから、トラステヴェレも人が多いんだろうなあ、と少しビビりながら寄ってみると、あら、何だか空いているわ、と拍子抜けしてしまいました。私は、トラステヴェレは観光で絶対に訪れるべき場所だと勝手に思っていたので、一般の観光客にはそれほどこの場所が知られていないということを初めて知りました。

そして、いくら観光客で観光地がごった返す、と言っても、やっぱり朝早い時間はほぼ誰もいないということを再確認しました。大体、皆様、朝の10時くらいから行動するのかしら?朝8時頃にローマの中心を訪れると、とても優雅なひと時を過ごすことができます。

もし観光シーズンにローマを訪れるけれど、人多いのは嫌!という方は、ぜひ朝早く起きて、朝の素敵で静かなローマをお楽しみください。

トラヤヌスの市場付近、朝8時頃

あとがき:実は2014年のイースター日はある意味、特別だと思う。というのも、4月20日復活祭日の翌日、4月21日はローマ建国記念日だから(建国日はもちろん固定)。建国記念日には、古代ローマ人に扮した人たちがローマ市内をパレードするらしい。

ローマ建国記念日(2767回目)のイベント模様
Sunday Timesより


って、えー!!!ちょっと待ってよ、私って結構大事なイベント時期にローマにいたのに、なんでどれも見逃しちゃったんだろう・・・今年は仕方がないとしても、去年は私は一体何をしていたのぉぉぉ!本当にローマ建国記念日の存在何て知らなかった。

でも3度目の正直で、ちゃんとイースターとローマ建国記念日のことは、今後も忘れません。



記念碑に込められた感動的なメッセージ in Warsaw




ワルシャワ「集荷場」

記念碑ーモニュメントーは、それぞれ記念する対象者・対象物のストーリーを語るシンボルであるが、果たして記念碑に込められたメッセージを、記念碑を見ただけで汲み取れる人はどれくらいいるのだろうか?

残念ながら、私は記念碑を見ただけでは、それが示す背景や思いを汲み取れる人ではない。アートみたいなものだと思う。アーティストは自分が表現したいものを言葉ではなく非言語的な形にするけれども、私はもともと鈍感なタイプなので、作品を言葉で説明してもらわないとわからないのだ。

なので、ポーランド・ワルシャワにある集荷場 (ワルシャワ・ゲットー)の跡地に建てられた記念碑をたまたま一人で見かけた場合、間違いなくスルーしてしまっただろう。

しかし、今回はワルシャワの無料ウォーキングツアーに参加して、説明をしてもらったので、よく理解できた。そして不覚にも涙を流してしまった(ちょっとだけだけど)。

Free walking TOURという団体が提供している無料ツアーは(時期によって異なるけれど)4つあり、集荷場を訪れるのは、Jewish warsawツアー中のことである。(ちなみに他3つは、Communistツアー、Old Townツアー、Alternativeツアー。私は4つ全てに参加してしまったけど、どれも素晴らしかったです。)

ポーランドは歴史的にユダヤ人が多い地域であり、そのためナチスによる被害も相当な物だった。ホロコーストが始まる前までは、ワルシャワにいたユダヤ人は当時のワルシャワ全人口の約30%に及ぶ35万人以上。しかし、ホロコーストにより現在ワルシャワに住むユダヤ人はほとんどいない。

Jewish warsawツアーは、そのワルシャワに住んでいたユダヤ人達の足跡ー彼らがどのようにしていなくなってしまったのかーと、それを示す記念碑を辿るツアーである。

このツアーで学んだこと。

1940年11月にワルシャワでユダヤ人ゲットーが作られたこと。そこにユダヤ人達は強制移動をさせられ、ゲットーが作られる前にもともと住んでいたポーランド人も、違う場所に移動させられた。

環境の悪いゲットー内で、ユダヤ人達は次々と死んでいったが、それでもナチスが望んでいた数には達しなかったため、もっと手っ取り早い方法として、ホロコーストが1942年から行われたこと。

ユダヤ人を助けようとした勇敢なポーランド人がいたこと。ジャン・カルスキ(Jan Karski)は、ナチスの絶滅収容所の実態を目の当たりにし、それを世界に訴えようとした人物である。イレーナ・センドラー(Irena Sendler)は、ゲットーにいる約2500人のユダヤ人子供たちをゲットー外に連れ出し、かくまった人物である。

それと同時に、積極的にナチスに協力したポーランド人もいたこと。当時ユダヤ人を助けようとする人たちは、家族ぐるめで、死刑になるということだったから。

こういう話を聞きながら、記念碑や跡地を回ると、なんともその場所からのメッセージがひしひしと伝わってくる。

特に私が一番感動したのはツアーの最後の場所となった、集荷場(Umschlagplatz)。ここはナチスがユダヤ人をトレブリンカ強制収容所に移送するために利用した鉄道駅の跡地。

集荷場の跡地に作られたユダヤ人追悼のモニュメント
Warsawtour.plより

ユダヤ人達は、最初の頃は強制収容所に連れて行かれると殺されるという噂を聞いても、さすがにそこまで残酷なことをされないだろうと信じ、言われたままにゲットーから強制収容所への移動を行った。しかし、時が経つにつれ、やはり噂は本当だと気づく。まだ生き残っているユダヤ人達は、最後の抵抗として1943年4月19日に武装蜂起を敢行(ワルシャワ・ゲットー蜂起)。しかし抵抗むなしく、 5月16日にはユダヤ人たちの終わりを告げた。その5月16日まで、この集荷場から、トレブリンカ強制収容所行きの電車が出発していた。

この跡地に、ワルシャワ・ゲットー蜂起から45年後の1988年、ホロコーストで亡くなった人々を悼む記念碑が建てられた。この記念碑についての無料ツアーのガイドの説明は以下の通りである。

「入り口の上にある半円形の中には、折れた木が描かれています。この"折れた木 (a broken tree)"というのは、ユダヤ人たちにとって、"粉々にされた人生(a broken life)"という意味を示します。モニュメントの中に入ってみましょう。四角い壁に囲まれて、列車の中にいる感覚になりませんか?この場所から、ユダヤ人達は強制収容所へ列車に乗って連れて行かれました。目の前の壁には、犠牲者30万人以上のユダヤ人を代表した、448つのユダヤ人たちの典型的な名前が彫られています。さて、入り口と反対側の壁の間に縦に細長い隙間があります。この隙間からは、立派に育った、折れていない木が見えます。折れた木が絶望の象徴であるならば、この立派な木は、未来と希望のある人生の象徴です。ここで未来への希望を見いだしたところで、このツアーを終えたいと思います。」

この“壁の隙間から見える立派に育った木”の話を聞いたところで、私は「なんて感動的なメッセージ性を持った、アーティステッィクな記念碑なんだろう」と興奮した。私は基本的にハッピーエンド的な話が好きなのだ。あまり暗すぎる話には耐えられないのだ。

この集荷場にくる前までに、他の跡地や記念碑を訪れ、話を聞き、少し気持ちがどんよりとしていたところで、最後の最後に、この、“死へ向かう出発地”という最悪な場所で"未来への希望"を表現した記念碑に出会うと、「ああ、世の中まだ捨てたもんじゃないな」となんだかよくわからないけれども、そんな気持ちになる。

ワルシャワの集荷場にある亡くなったユダヤ人のための記念碑は、私が初めてそのメッセージを理解した記念碑となった。




2014/04/30

理解していることと、行動することは違う〜アウシュビッツで考えたこと〜



ドラマ『白い巨塔』から


私がポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所に興味を持ったのは、今でも忘れられない2004年。俳優の唐沢寿明主演のドラマ『白い巨塔』第11話を観てから。



『白い巨塔』と言えば、主人公で外科医の財前が教授に上り詰めるまでと、その地位から転落する様を描いた、山崎豊子著の医療小説。1978年に放送された同タイトルのドラマで、田宮二郎が財前教授を演じた後に自殺したことでも有名。



と言っても、実は私は原作も読んでいないし(読んでみようと思う)、田宮版ドラマも観たことがないので、 私にとっての『白い巨塔』とは、唐沢寿明が演じる財前教授なのだ。



成り上がりではあるが、天才的なオペ技術を持つ財前は、医学部のドロドロとした人間関係の壁を乗り越えて、遂に教授に。そしてある日、財前教授はポーランド・ワルシャワの医療大学で開催される特別講演と手術を行うために、ポーランドを訪れる(それが第11話)。見事な手術を終えた後、時間ができた財前は、コーディネーターにポーランドのおすすめの場所を訊ね、アウシュビッツ強制収容所に連れて行ってもらう—



このポーランドのシーンが私は大好きでした。まずはワルシャワで手術をするということだったので、ワルシャワの美しい映像がドラマの中で楽しめました。ポーランドの美しい街並に全然負けていない唐沢寿明って、なんて格好いいんだろう!と、当時13歳だった私は思ったものです。(そして今でも思います。)



そして、アウシュビッツ強制収容所のシーン。撮影時期が冬だったので、寒くて重々しい雰囲気でしたが、それが強制収容所の存在を上手く表しているようでした。『働けば自由になれる』という入り口を前に、「ここが20世紀の遺産か」と最初は持ち前の自信過剰さを保ったように言葉を放った財前も、案内をしてくれた現地の人の話を聞き、収容所を見学するうちに表情が真剣になってきます。



アウシュビッツでの全てのシーンを鮮明に覚えていましたが、特に印象的だったのが、『死の門』へ続く2つに分かれているレール(ここはアウシュビッツではなくて、ビルケナウ)を財前教授が歩くシーン。 収容所に列車で連れてこられたユダヤ人達は、ドイツ人医者によって働けるもの・働けないものに選別され、働けると判断されたものは強制労働の道に、働けないと判断されたものはガス室に送り込まれました。



しかし、その2つに分かれた道は、「どちらかが天国で、どちらかが地獄ではなく」、「どちらも地獄」であったのです。



人の命を救う医者である財前教授は、このレールを歩きながら、命の重さについて考えます。しかしその頃、日本にある病院では、財前教授の医療ミスが原因で死んでいった患者がいました。帰国後、財前がとった行動とは・・・そこから財前の転落が始まっていったのです。



・・・といった放送を観てから10年。遂にアウシュビッツを訪れることができました。普段はツアーに参加することは好きではないけれど、アウシュビッツでただ一人の日本人ガイドの中谷剛さんというかたが日本で有名だと知ったため、今回は彼のツアーに参加することにしました。



私は英語がわかるため、ガイドは英語でも構わなかったのですが、今回は中谷さんのツアーに参加できて本当に良かったなと思いました。同じ日本人であるため、第二次世界大戦中にヨーロッパで起きた悲劇を、現代起こっている、もしくは将来起こるであろう日本の問題と照らし合わせて話してくれるので、強制収容所で起こったことを身近に当てはめることができます。



例えば、なぜユダヤ人が被害者にならなければならなかったのか。もちろん様々な原因があるけれども、その一つに経済的理由が挙げられる。第一次世界大戦で負け、多額の負債を抱え、失業率も高いドイツでは、もちろん現状に不満を持つ人が増える。なぜ自分たちドイツ人に仕事がないのか?ユダヤ人がいるからだ。ユダヤ人が自分たちの仕事を奪っている。彼らを排除すれば、仕事を手に入れることができるのではないか?



これは移民を多く抱えている国で、起こりえる問題です。今日本はあまり移民を受け入れていませんが、今後は受け入れていかなけれならなくなるかもしれません。もし移民を受け入れなかったとしても、グローバル化の影響で、今ある日本人の仕事が他国の人に奪われていくでしょう。そういった時に、仕事を失った—被害者的に言えば、仕事を奪われたー日本人はどう感じるでしょうか?



今ある比較的、経済的に余裕がある暮らしをグローバル化のせいで、”誰か”のせいで、奪われたと思ったら、”私”はどういう行動を起こすのだろう?そういう状況の時に、 ある一人のカリスマ性のある愛国主義的な、というよりも実際はただの独裁的な政治家が現れて、私の仕事を奪ったのは、とある国のとある人たちだ、なんて熱狂的に語ったら?それに私以外の人たちも賛成したら?



どうするのか。



(私は結構自己否定をしてしまうタイプだから、 仕事がないのは何の取り柄もない自分のせいだから仕方ないわなんて思うだろうけど、それでも切羽詰まったらと思うと・・・)



この『もしも』の質問には答えないことにしよう。答えたくないし、まだ考えている最中だから。



とにかく、アウシュビッツ収容所のツアーに参加していた時は、この「もしも私が〜」の質問がいくつも頭の中を駆け回っていた。それは上記のように、当時の加害者としての立場でもあるし、その逆の被害者の立場でもある。そして不思議なことに、両方の立場として自分のことを想像できるのだ。自分が勝手に誰かから”ユダヤ人種”だと決めつけられて、苛まれて、裏切られたユダヤ人の気持ちもわかる。当時ユダヤ人虐殺に関わっていた収容所にいたドイツ人達が、「自分たちは上から言われたことをやっていただけだ」と主張し、自分の最低な行動を正当化したいと思い、後に謝罪すら述べない気持ちも、残念ながらわかる。そして、直接は虐殺に関与はしていないけれども、見てみぬ振りをして、何も行動を起こさなかった一般市民の気持ちもわかる。



そういう風にそれぞれ違う視点で考えると、何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなる。



けれども、やっぱり虐殺は悪だ。



それは、ちゃんとわかっているのだ。



ここで、少しだけ話を変えましょう。ガイドの中川さんの説明の中で印象的だったフレーズがあります。それは、「人の命を救うべき医者が、人の命を奪った(ドイツ人医者がユダヤ人を使って人体実験をしていた)」ということ。実はこの言葉は、『白い巨塔』でも、財前教授をガイドしていた人が放ったのです。ああ、きっと中谷さんはドラマの監修をしたんだろうなあ、と思いました。



実際に強制収容所を訪れた後に、日本に帰ってから(このブログを書く前に)ちょうどドラマ『白い巨塔』のポーランドの部分を観ました。唐沢寿明の素晴らしさと、ドラマの台詞には今でもジーンときますが、一つだけ私の見方が変わったところがありました。それは、財前教授の心情に関する見方。



昔は、「やっぱり普段は尊大な財前教授でも、こうやって真面目に考えることがあるのね。本当はいい人なのね」と思ったものです。でも今は、「確かにこの収容所では命の重さを感じ取って、色々と考えたかもしれないけれども、それでも日本に帰った時に自分の医療ミスを素直に認めなかったじゃない。やっぱり自分の現実に教訓を当てはめるのは難しいのね」なんて冷めた見方をしてしまうのです。(とはいっても、財前教授にも患者に対する後悔の気持ちも確か少なからずあった気がします。)



そう、現実には、頭で正しいとわかっていることを、行動に移すということが実は難しいのではないのかと、強制収容所を見学しているときに考えました。



だって、正義の味方になるって、犠牲が伴うんだもの。当時虐殺行為が起こっていた中で、勇敢にも悪に立ち向かった人たちは少なからずいました。それでも、そういった行為は、国家の反逆者、テロリストだと考えられ、同じく苛まれる対象となったのです。



財前教授も、強制収容所で色々と学びながらも、結局は現実世界では自分の地位を守るために自分の間違いを認められなかったのでしょう。それは多分、とても自然なことだと思います。でも、同時に、とても間違っていることでもあります。(ここでも、やはり簡単に答えを出すことはできないのです。)



アウシュビッツ強制収容所というと、どうしても戦争だとかジェノサイドだとか大きな事柄を主に考えてしまうかもしれないけれども、そこで起きた背景の人間心理は、日々の小さな生活の中でも垣間みられるものです。なので全く、違う国の他人事だとは思えませんでした。



実はこういったことは、アウシュビッツを訪れる前から呆然と考えてはいました。というのも、ローマに留学中にジェノサイドの授業を取ったので、すでに情報としては、ガイドの中谷さんが話していることはすでに知っていました。(逆に言うと、中谷さんのガイドの中身は結構大学授業なみに濃いです。)なので現地を訪れなくても、色々と自問はできたのかもしれませんが、やはり実際に亡くなった人たちの髪の毛や靴やバッグの山を見ると衝撃度が違いました。(アウシュビッツで私が一番ショックを受けたのが、ガス室などではなく、髪の毛の山でした。)



多くの日本人に、ぜひポーランドのアウシュビッツを訪れてほしいです。特に、日本国内を出たことがないけれども、外国・外国人嫌いな日本人には。もちろん、戦争の悲惨さを知るために、広島・長崎を訪れるとかでもいいのかもしれないけれども、どうしても被害者意識や私情を強く持ってしまうだろうから、冷静的な見方ができないかもしれない。ただ、ポーランドなんてなかなか個人で行く機会なんてないだろうから、多分、高校とか大学の修学旅行(大学って修学旅行あるかしら?)のツアーで組まれれば、とってもためになる体験になるのにと思います。



最後に一つだけ。自問自答を。



「誰かからの命令を受けたら、それに従って行動をするのか?」



「いいえ。私は自分の意志で自分の行動を決めます。」



【関連リンク】

記念碑に込められた感動的なメッセージ in Warsaw  



2014/02/13

バレンタインの日に行きたい場所 [ヴェローナ VERONA]



http://www.amaronetours.itより


今からちょうど1年前、バレンタインの時期に私は「ヴェローナに行こうかしらん?」と考えておりました。



そして今年も、「何かテキトーに理由をつけて、ヴェローナに行こうかしらん?」と本気で考えました。



結局、昨年も今年もダメだったけど・・・



ヴェローナといえば、シェイクスピアのロミオとジュリエットの舞台となった街。バレンタインの時期になると、街が飾り付けされ、恋人たちで賑わうようです。





ん〜〜〜、いいなー、行きたい!!!



私は2回目のイタリアの時にヴェローナを訪れました。



多分、ローマよりも、好き。



多分、イタリアで、一番好き、な場所かも。



全体的に厳かで洗練されていて、オシャレなショップがたくさんあって、そして、観光地でも物乞いとか変な物を道ばたで売っている人がいない。



何よりも私が一番気に入った場所は・・・





ベタだけど、アリーナのある中央広場。個人的にローマのコロッセオよりもヴェローナのアリーナのほうが好きかも。



というのも、多分、このアリーナ内で、たまたまイタリアが誇る人気歌手エロス・ラマゾッティのコンサートを観れたから。






 アリーナでオペラじゃなくて、ロックを聴くことに興奮。音質は良くなかったけど、

エロス・ラマゾッティを生で見れて感動した!



でも、次は絶対にオペラを観たい。



そういうことになると、私はヴェローナに2月だけじゃなくて、野外オペラが開催される夏にも行かなきゃならぬのか・・・う〜ん、お金と時間をどうやって工面しましょう。





2014/02/04

イタリア男の実態|なぜアナルセックスをせがむのか?



Elizabeth Geoghegan著「The Marco Chronicles: To Rome, without love」







・・・・お下品なタイトルでごめんなさい。。。

。。。。

。。。。

でも、ちゃんとした理由があるのです!!!

タイトルに示されている質問に対する答えは、

後半でお伝えします・゚゚・(>д<;)・゚゚・



まずは、このタイトルを選んだ経緯から;



Facebookのニュースフィールドを見ていると、

私がちょうど1年前に通っていた

ローマにあるアメリカ大学のニュースポストを発見。

どうやら、そこで詩の授業を教えている教授が書いた本が

Kindleのあるカテゴリーで1位になったという。



そのタイトルは

The Marco Chronicles: To Rome, without love





この本のタイトル、

ローマ好きの人にはわかっちゃうかも!?



このタイトルは、絶対に

ウディ・アレンが監督した映画「ローマでアモーレ」

(原タイトルは「To Rome with love」)

を文字っちゃってる。


【『ローマでアモーレ』予告編】



映画の「ローマでアモーレ」は、
ローマを舞台にそれぞれの人間模様を描く、
ちょっとシュールなラブコメディー。

その映画のタイトル「To Rome "with" love」を
"without"にしているっていうことは・・・

ねぇ、あまりハッピーエンディングを
期待できないのかしら???

と、思いながらも、
早速「The Marco Chronicles」をキンドルからダウンロードし、
読み始めました。

風呂桶に浸かりながら読んでたんだけど・・・

うむむ、チョーーーー笑える(≧∇≦o)(o≧∇≦)

風呂場で一人、ゲラゲラ笑いながら
2時間であっという間に読み終えました!!!
(つまり、私は風呂桶に2時間も浸かっていたのです(´・_・`))

ストーリーはこんな感じ↓↓↓

-------------------------------------------------------

アメリカ人(本にはそう書いてないけど、多分そう)のエリザベスは、
今から20年前、兄弟の死から立ち直るためにイタリアに旅行。
フィレンツェで、ある魅力的な男性と出会い、
イタリアに移ることとなった。

た・だ・し(ここが重要、とエリザベスは強調)

恋に落ちた男性は「イタリア人ではなかった。」

で、イタリアに移ったはいいけれど、
男女の関係に始まりがあれば、終わりもあるわけでして。
2人の関係はある日、終わってしまいました。

エリザベスは、「永遠の都」パリ・・・
じゃなくて、ローマに移る。
そこで教授として働き、ローマに定住。

「別にね、よくいるアメリカ人とか、
イギリス人とか、オーストラリア人の女性が
イタリア男との情熱的なロマンスを夢見るように、
私はイタリア男なんか探してはいないのよ」

と、言いながらも、まあ、
それなりにイタリア男との出会いは何回もあるのです。

そして、エリザベスが大抵関わってきたイタリア男の名前は
『マルコ』だった。

だから、この物語では私が出会ったマルコたちが、
どんなイタリア男だったか暴露しちゃいまーす!!
的な。

そういうことで、エリザベスは
「マルコ1」「マルコ2」「マルコ3」・・・
について語っていきます。

そのイタリア男たちについての説明が、もう、とーーーってもわかる!
私はローマに4ヶ月しかいなかったから、そんなに詳しくないけど、
でも、もう共感しすぎちゃって怖い。。。
だけど、もう、あり得ないほどおかしい(*≧m≦*)プププw

そのうちの1つだけ、例としてここに挙げます
(ここで、このブログのタイトルにやっと繋がります うふ♪)

★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
エリザベス;

イタリアに来たばかりの外国人女性が
「イタリア人の恋人ができたの」って話してきたら、
私は毎回、

「彼はあなたにアナルセックスをせがまない?」

と聞くの。

そうすると、外国人女性はこう返事をする。
「え、それってイタリアでは普通のことなの?
私の恋人だけがそういう趣味を持っているのかと思ってた・・・」

普通、女性とアナルセックスをしたいって言う場合、
ある程度の関係が出来上がってから、
しかもその場合であっても、恥ずかしそうにせがむだろう。

でも、イタリア男は違う。最初からせがむ。
外人女性に対しては。

これはきっと、イタリア男が
"マドンナ/娼婦コンプレックス (Madonna-whore complex)"
を抱えているせいだろう。

カトリックの影響力抜群のローマにおいて、
処女である母マリア様は、やはり処女でなければならない。

そうなると、【違うところ】で試そうということになる。

そいういうことではないのか。

・・・・・・・・・・・

でも待ってよ。
もしマルコがマリア様とアナルセックスをして、
処女膜はそのままだったとしても、
それって、処女だって言えるわけ???

★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★

と、こんな下品でくっだらなーいエピソードが何回も登場します。
でも、私はその度になぜか
「うん、そう、そうなの!!!」
となってしまうのです。

こんなことに多く遭遇するエリザベスなので、未だに独身。
結婚まで見据えた男には出会っていません。

「誰かまともな男が欲しいなら、やっぱりローマを去るべきだ。」

そう思うけれど、
今の今まで、ずっとローマにいる理由。

それは・・・・
-------------------------------------------------------
というストーリーです。

読んでみたくなりましたか??
英語のみですが、もし英語がわかるならば、
こちらからダウンロードできます。





肝心の本の著者の名前を忘れていましたが、
Elizabeth Geoghegan さんです。

私は声に出しながら本を読んでいたのですが(風呂場で)
文章にリズム感があるし、
お気に入りのフレーズもいくつかあったので、
「ああ、なるほど、詩を教えてる先生なんだな」
と感じました。

でも、ここまで今まで出会った笑えるイタリア男たちを綴ると同時に、
「ローマに長くいる理由はイタリア男のためではない」と言いながらも、
その理由をこの本では書かれていなかった気がします。

次回作であるのかしら・・・?
(ぜひぜひ!)

『イタリア男』というものが一体どういうものかは別として、
ここまで色々と言われるのはちょっと羨ましいな〜
なんて思います。

(だって、『日本男』についてそこまで色々と言われないでしょう?)

私は今後も彼女の本が出版されたら
読みたいなと思っています。



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