2014/04/30

理解していることと、行動することは違う〜アウシュビッツで考えたこと〜



ドラマ『白い巨塔』から


私がポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所に興味を持ったのは、今でも忘れられない2004年。俳優の唐沢寿明主演のドラマ『白い巨塔』第11話を観てから。



『白い巨塔』と言えば、主人公で外科医の財前が教授に上り詰めるまでと、その地位から転落する様を描いた、山崎豊子著の医療小説。1978年に放送された同タイトルのドラマで、田宮二郎が財前教授を演じた後に自殺したことでも有名。



と言っても、実は私は原作も読んでいないし(読んでみようと思う)、田宮版ドラマも観たことがないので、 私にとっての『白い巨塔』とは、唐沢寿明が演じる財前教授なのだ。



成り上がりではあるが、天才的なオペ技術を持つ財前は、医学部のドロドロとした人間関係の壁を乗り越えて、遂に教授に。そしてある日、財前教授はポーランド・ワルシャワの医療大学で開催される特別講演と手術を行うために、ポーランドを訪れる(それが第11話)。見事な手術を終えた後、時間ができた財前は、コーディネーターにポーランドのおすすめの場所を訊ね、アウシュビッツ強制収容所に連れて行ってもらう—



このポーランドのシーンが私は大好きでした。まずはワルシャワで手術をするということだったので、ワルシャワの美しい映像がドラマの中で楽しめました。ポーランドの美しい街並に全然負けていない唐沢寿明って、なんて格好いいんだろう!と、当時13歳だった私は思ったものです。(そして今でも思います。)



そして、アウシュビッツ強制収容所のシーン。撮影時期が冬だったので、寒くて重々しい雰囲気でしたが、それが強制収容所の存在を上手く表しているようでした。『働けば自由になれる』という入り口を前に、「ここが20世紀の遺産か」と最初は持ち前の自信過剰さを保ったように言葉を放った財前も、案内をしてくれた現地の人の話を聞き、収容所を見学するうちに表情が真剣になってきます。



アウシュビッツでの全てのシーンを鮮明に覚えていましたが、特に印象的だったのが、『死の門』へ続く2つに分かれているレール(ここはアウシュビッツではなくて、ビルケナウ)を財前教授が歩くシーン。 収容所に列車で連れてこられたユダヤ人達は、ドイツ人医者によって働けるもの・働けないものに選別され、働けると判断されたものは強制労働の道に、働けないと判断されたものはガス室に送り込まれました。



しかし、その2つに分かれた道は、「どちらかが天国で、どちらかが地獄ではなく」、「どちらも地獄」であったのです。



人の命を救う医者である財前教授は、このレールを歩きながら、命の重さについて考えます。しかしその頃、日本にある病院では、財前教授の医療ミスが原因で死んでいった患者がいました。帰国後、財前がとった行動とは・・・そこから財前の転落が始まっていったのです。



・・・といった放送を観てから10年。遂にアウシュビッツを訪れることができました。普段はツアーに参加することは好きではないけれど、アウシュビッツでただ一人の日本人ガイドの中谷剛さんというかたが日本で有名だと知ったため、今回は彼のツアーに参加することにしました。



私は英語がわかるため、ガイドは英語でも構わなかったのですが、今回は中谷さんのツアーに参加できて本当に良かったなと思いました。同じ日本人であるため、第二次世界大戦中にヨーロッパで起きた悲劇を、現代起こっている、もしくは将来起こるであろう日本の問題と照らし合わせて話してくれるので、強制収容所で起こったことを身近に当てはめることができます。



例えば、なぜユダヤ人が被害者にならなければならなかったのか。もちろん様々な原因があるけれども、その一つに経済的理由が挙げられる。第一次世界大戦で負け、多額の負債を抱え、失業率も高いドイツでは、もちろん現状に不満を持つ人が増える。なぜ自分たちドイツ人に仕事がないのか?ユダヤ人がいるからだ。ユダヤ人が自分たちの仕事を奪っている。彼らを排除すれば、仕事を手に入れることができるのではないか?



これは移民を多く抱えている国で、起こりえる問題です。今日本はあまり移民を受け入れていませんが、今後は受け入れていかなけれならなくなるかもしれません。もし移民を受け入れなかったとしても、グローバル化の影響で、今ある日本人の仕事が他国の人に奪われていくでしょう。そういった時に、仕事を失った—被害者的に言えば、仕事を奪われたー日本人はどう感じるでしょうか?



今ある比較的、経済的に余裕がある暮らしをグローバル化のせいで、”誰か”のせいで、奪われたと思ったら、”私”はどういう行動を起こすのだろう?そういう状況の時に、 ある一人のカリスマ性のある愛国主義的な、というよりも実際はただの独裁的な政治家が現れて、私の仕事を奪ったのは、とある国のとある人たちだ、なんて熱狂的に語ったら?それに私以外の人たちも賛成したら?



どうするのか。



(私は結構自己否定をしてしまうタイプだから、 仕事がないのは何の取り柄もない自分のせいだから仕方ないわなんて思うだろうけど、それでも切羽詰まったらと思うと・・・)



この『もしも』の質問には答えないことにしよう。答えたくないし、まだ考えている最中だから。



とにかく、アウシュビッツ収容所のツアーに参加していた時は、この「もしも私が〜」の質問がいくつも頭の中を駆け回っていた。それは上記のように、当時の加害者としての立場でもあるし、その逆の被害者の立場でもある。そして不思議なことに、両方の立場として自分のことを想像できるのだ。自分が勝手に誰かから”ユダヤ人種”だと決めつけられて、苛まれて、裏切られたユダヤ人の気持ちもわかる。当時ユダヤ人虐殺に関わっていた収容所にいたドイツ人達が、「自分たちは上から言われたことをやっていただけだ」と主張し、自分の最低な行動を正当化したいと思い、後に謝罪すら述べない気持ちも、残念ながらわかる。そして、直接は虐殺に関与はしていないけれども、見てみぬ振りをして、何も行動を起こさなかった一般市民の気持ちもわかる。



そういう風にそれぞれ違う視点で考えると、何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなる。



けれども、やっぱり虐殺は悪だ。



それは、ちゃんとわかっているのだ。



ここで、少しだけ話を変えましょう。ガイドの中川さんの説明の中で印象的だったフレーズがあります。それは、「人の命を救うべき医者が、人の命を奪った(ドイツ人医者がユダヤ人を使って人体実験をしていた)」ということ。実はこの言葉は、『白い巨塔』でも、財前教授をガイドしていた人が放ったのです。ああ、きっと中谷さんはドラマの監修をしたんだろうなあ、と思いました。



実際に強制収容所を訪れた後に、日本に帰ってから(このブログを書く前に)ちょうどドラマ『白い巨塔』のポーランドの部分を観ました。唐沢寿明の素晴らしさと、ドラマの台詞には今でもジーンときますが、一つだけ私の見方が変わったところがありました。それは、財前教授の心情に関する見方。



昔は、「やっぱり普段は尊大な財前教授でも、こうやって真面目に考えることがあるのね。本当はいい人なのね」と思ったものです。でも今は、「確かにこの収容所では命の重さを感じ取って、色々と考えたかもしれないけれども、それでも日本に帰った時に自分の医療ミスを素直に認めなかったじゃない。やっぱり自分の現実に教訓を当てはめるのは難しいのね」なんて冷めた見方をしてしまうのです。(とはいっても、財前教授にも患者に対する後悔の気持ちも確か少なからずあった気がします。)



そう、現実には、頭で正しいとわかっていることを、行動に移すということが実は難しいのではないのかと、強制収容所を見学しているときに考えました。



だって、正義の味方になるって、犠牲が伴うんだもの。当時虐殺行為が起こっていた中で、勇敢にも悪に立ち向かった人たちは少なからずいました。それでも、そういった行為は、国家の反逆者、テロリストだと考えられ、同じく苛まれる対象となったのです。



財前教授も、強制収容所で色々と学びながらも、結局は現実世界では自分の地位を守るために自分の間違いを認められなかったのでしょう。それは多分、とても自然なことだと思います。でも、同時に、とても間違っていることでもあります。(ここでも、やはり簡単に答えを出すことはできないのです。)



アウシュビッツ強制収容所というと、どうしても戦争だとかジェノサイドだとか大きな事柄を主に考えてしまうかもしれないけれども、そこで起きた背景の人間心理は、日々の小さな生活の中でも垣間みられるものです。なので全く、違う国の他人事だとは思えませんでした。



実はこういったことは、アウシュビッツを訪れる前から呆然と考えてはいました。というのも、ローマに留学中にジェノサイドの授業を取ったので、すでに情報としては、ガイドの中谷さんが話していることはすでに知っていました。(逆に言うと、中谷さんのガイドの中身は結構大学授業なみに濃いです。)なので現地を訪れなくても、色々と自問はできたのかもしれませんが、やはり実際に亡くなった人たちの髪の毛や靴やバッグの山を見ると衝撃度が違いました。(アウシュビッツで私が一番ショックを受けたのが、ガス室などではなく、髪の毛の山でした。)



多くの日本人に、ぜひポーランドのアウシュビッツを訪れてほしいです。特に、日本国内を出たことがないけれども、外国・外国人嫌いな日本人には。もちろん、戦争の悲惨さを知るために、広島・長崎を訪れるとかでもいいのかもしれないけれども、どうしても被害者意識や私情を強く持ってしまうだろうから、冷静的な見方ができないかもしれない。ただ、ポーランドなんてなかなか個人で行く機会なんてないだろうから、多分、高校とか大学の修学旅行(大学って修学旅行あるかしら?)のツアーで組まれれば、とってもためになる体験になるのにと思います。



最後に一つだけ。自問自答を。



「誰かからの命令を受けたら、それに従って行動をするのか?」



「いいえ。私は自分の意志で自分の行動を決めます。」



【関連リンク】

記念碑に込められた感動的なメッセージ in Warsaw  



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