2014/05/13

突然ですが、インドに引っ越します




このブログ『ローマからの道』を始めてから1年が経ちました。昨年2013年1月から5月までにイタリア・ローマにある大学に短期留学をし、日本に帰国後、逆ホームシックにかかっていた頃に、ローマでの思い出に浸ろうとこのブログを始めたものの、やはり帰国後に始めたからか記憶が曖昧になり、あまり臨場感のある内容を書けずじまいに。しかも、この1年間で書いたブログ記事数はたったの29。(今回の記事で30。)さらに、全ての内容がイタリアに関することではない・・・

基本的に自分のために書きはじめたブログ。でも一応誰でも読めるようにはしているから、ちゃんとした文章を書きたいとも思っている。そんなわけで、『です・ます調』にしようか、『だ・である調』で書こうか、日本語で書こうか、英語で書こうか、毎回悩むものの、結局統一できずじまい。

公開しているブログ記事にも一貫性がないし、定期的に書いているわけではないので、いわゆるフォロワーという方たちは全くいないことは間違いない。でもブログの統計を見ると、ここ1年間でページ数が1万に達しているから(多分実際は若干少ないとは思うけど)、単発で、何かの検索に引っ掛かって私のブログを読んでくれた人たちがいるんだと思う。で、そういった人たちは、何かしらイタリアかヨーロッパに関心のある人たちなんだと思う。

でも、今後イタリアについてブログを書くことは滅多にないだろう。(もともとそこまで書いていたわけではないけども。)

なぜなら、私はインドで働くことに決めたから。早ければ来月にはインドにいるだろう。

多分、私の予想だと、ヨーロッパへの観光が好きな人は、きっとインドに対して良いイメージを持っていないと思う。 インドのゴミゴミとした感じに拒否感を覚えるかもしれない。

実は、私はイタリアに3度行っているが、インドには2度行っている。1度目は私が19歳のとき、2度目はイタリア留学から帰って少し経ったとき。今回の渡航で3度目になる予定だ。

1度目のインドの際は、まだ私も若かったので、全てをポジティブな視点で捉えていた。「この、今あるたくさんの問題は、いつか解決するだろう。たくさん問題があるということは、それだけ改善の余地があるということで、インドってなんて可能性に溢れているのだろう」と。(多分ご存知かと思いますが、インドには誰もが目にすることができる問題点がたくさんあるのです。)

でも2度目のインド渡航の際は、私の考え方は変わっていた。多分、ヨーロッパを知った後だからだろう。もしくは、私がいくらか年をとったからだろう。 人口の多さ、騒音、道の汚さ、文化的建築物保存への関心の低さ、カレーの匂いに嫌気がさした。(え、1度目には感じなかったの?となるけど。)そして、1つ気づいてしまったこと。「誰にでも明らかなインドの問題点は、絶対に解決することはない。」少なくとも、私が生きている間には。ここで私が言う“明らかなインドの問題点”とは、貧困であり、街の衛生問題である。(街に関しては、あのカオス状態“汚さ”が好きな人もいることは私も知っているが)もちろん、こういった問題はどこの国でもあるけれども、インドではそれが極端すぎて、誰にでも明らかなのだ。私が失望したのは、問題が明らかなのに、全く改善の兆しが目に見えないということだった。

そんなわけで、一時はインドで働くことを夢見ていた私も、2度目のインドで、その気持ちが全く消えたのだ。だから、今回インドで働くことになっても、その選択を自分でしたとしても、特に嬉しくはない。きっと今から1年前にインドで働くということになったら、私はものすごくワクワクしていたことだろう。でも今は、私は特にインドでの生活に対して何も期待はしていないのだ。

多分私はヨーロッパかぶれになったのだろう。あの落ち着いた、文化・歴史に重きを置く、住みやすい雰囲気を一度体験してしまうと、 どうしてもヨーロッパの国と、その他地域の国を比較してしまうのだ。だから、別にインドの街の雰囲気だけに拒否感を示したわけではない。イタリア留学から日本に帰った時は、それはそれは人の多さと街の汚さにショックを受けた。そして今でもショックは消えていない。

でも、そんなことをグダグダ言っても仕方がないのだ。現実は、私は日本生まれの、日本育ち。実家は日本にある。そして私は近々インドで働く、ということなのだから。だから、現実をひしと受け止め、少しだけポジティブに考えようと思う。つまりこういうことだ:

イタリア・日本・インド、この全く異なる国の共通点を挙げるとしたら、歴史の長さがあげられるだろう。ある説によると、日本は世界で最も古い国家らしい。つまり、世界で最も古い国家で生まれた私は、無意識的に歴史の長い国に惹かれたのであろう。そして、私は、首都育ちなのだ。一応東京生まれ・育ちなのだが、イタリアにいた時は首都ローマにいた。そして今度インドで働く際は、インドの首都デリー(付近)となる。やっぱり、首都って魅力的よね。でね、でね、ローマとデリーって実は共通点があるの♥それは、両方とも世界遺産を持っているということ。東京って実は23区にはない(小笠原にはたくさんあるのだけども)。だから私は世界遺産のある首都に魅力を感じてしまう。あとは・・・ローマって意外と雑多とした場所で、デリーに似てる。こんなことをイタリア人に言ったら、間違いなく怒られるだろうけども。でもイタリア・パルマに長年住んでいた日本人は、「ローマは汚くて嫌い」と言っていた。私も、最初にローマに着いた時は、「なんか汚い・・・」と思ってた。他にデリーとローマの共通点は・・・車が歩行者のために止まってくれない。運転手のマナーが悪い。あまり水の質がよろしくない。ナンパが多い(と言われる)。。。。。。

この辺でやめとこう。

とにかく、私が言いたいことは・・・きっとインドも魅力的な国だと思う。歴史も長いし、宗教と絡んで文化も発展したし、デリーあたりだったら、イスラムのムガル帝国時代に作られた建築物が素敵だし、イギリス統治下にあった時代に作られたものも残されているし。ただ、そういったことが、色々と隠れてしまっているだけで、全ての偏見をなくしたら、きっと素晴らしい遺産が見えてくるはず。ローマのように。

だからせっかくなので、今後はインドについてブログを書こうかと思う。(本業で力尽きなければ。)今のブログ内で書くのか、新しくブログを作るのかは迷っているけども。私にとっては、やっぱりローマが一番の思い出の場所だからこのままここでインドについて書くのも悪くはないと思うけども、新しく作るのも悪くはないと思う。もしインドに関するブログを作るとしたら、タイトルは『See without prejudice』に。ジョージ・マイケルのアルバム『Listen without prejudice』のような。

インドで働くことを機に、ローマでの思い出を引きずることは今日で止めようと思う。あれから1年経って、どんどん記憶が曖昧になっているのに、自分を騙して、思い出せないものを思い出だと言い聞かせていた気がする。忘れたくないことを忘れてしまった自分を認めたくなかったから。大事だと思っていたものが大事でなくなる気がして怖かったから。だから今までイタリアにこだわって、イタリアに関わる仕事をちょろっとしたり、つい最近もローマに行ってきたりしたけども、それももう終わり。

今日は、私が通っていたローマにある大学で卒業式が行われるらしい。私の知り合いも出席していて、今日で卒業だ。私は日本で通っていた大学を去年に卒業したけれども、卒業式は今年だったらしい。でも、自分の卒業式には参加しなかった。だから、勝手だけれども、今日を私の卒業式にしてしまおう。

今までの過去に、「さようなら」ではなく、「ありがとう」と、
そしてこれからの出来事に、不安と少々の希望を込めて。

Grazie di cuore della bella esperienza.

2014/05/04

3度目のローマは"Buona Pasqua"

フランシスコ・ローマ法王
Voice of Americaより


新卒の仕事をたったの半年で辞め、次の仕事を開始する間に時間があったので、再びヨーロッパに。

今回はポーランドがメインだったため、ローマ滞在は3日間。急遽1週間前に行くことを決め、急いで航空券を買うことに。8ヶ月ぶりのローマだから学校の先生に会おうかしら、と先生にメールをしたところ、「君がローマに来る時はちょうどイースターだから、私は実家の違う州にいる予定なんだ」という返信が。

イースター?あら、そんな時期だったのかしら。

って、えー!ちょうどイースターに重なるってことは、色々レストランとか、ショップとか、美術館とか休みになって不便になるってこと?!

(ああ、何でそんな時期に旅行の予定たてちゃったんだろう・・・)

イースターとは、キリストの復活を祝うお祭り。日本語では『復活祭』、イタリア語では『パスカ』という。 この祭日はキリスト教の人たちにはとても重要で、多分クリスマスの12月25日以上に重要かもしれない。イースターは、毎年日にちが決まっているのではなく、「春分後の最初の満月から数えて最初の日曜日」となっている。2014年度のイースター日は4月20日。そして私がローマに滞在していたのは、4月17日から19日だった。

"La Pasqua (復活祭)
ローマEatalyにて
 キリスト教の方達はイースター日当日のみお祝いするわけではなく、その前後1週間くらいを通してお祝いする。イースター前の金曜日は『聖金曜日』として、イースター後の月曜日は『天使の月曜日』として、祝日になる。というわけで、この祝日を利用してイタリア人並びにヨーロッパ人は1週間くらいの休みを取る人が多いのだ。(夏休み、クリスマス、正月に加えイースター休暇も取るヨーロッパ人、休みを取り過ぎだと思う・・・ずるいわ〜)

というわけで、イースター期間中にローマに行くことになったのですが、ここで一つ疑問が。わたし、去年のイースターの記憶が全くないのです。

去年の1月から5月までローマにいたから、滞在中にイースターが来たはずなのに、何で覚えてないのかなぁ、なんて考えていたら、わかりました。去年のイースター日は、 3月31日。ちょうどその頃は1週間の休みがあって、ニューヨークにいたのでした。(それでもニューヨークでイースターのお祝いがあったはずだけど、全然イースターの存在を知らなかった。)

じゃあ、ポジティブに考えて、ローマでイースターを楽しもう!と思ったら、実際に楽しかったです。イースターシーズンにイタリアに行けて良かった!


なにはともあれ、イースターの存在を知れたこと。そして、キリスト教の中心地でイースター時期を過ごせたこと。

復活祭当日は、私は朝早くにイタリアを出なければいけなかったので、当日の様子はわかりませんが、キリスト教徒はゆで卵を持って教会に向かうらしいです。

復活祭当日以外にもイベントが行われます。キリストが最後の晩餐を行った“聖木曜日”には、法王がどこかでミサを行います。また、法王は、キリストの死を記念する“聖金曜日”に『主の受難の儀式』をコロッセオにて行います。復活祭日翌日の月曜日は『天使の月曜日』ということで、祝日になります。

私はローマに木曜日に到着し、イースター日当日の朝には出発しなければいけなかったので、まともに出くわしたのは"聖金曜日”のみとなりました。

実は、法王が金曜日にどこかで演説か何かをするのは知っていたけれども、コロッセオで儀式が行われることは知りませんでした。

昼にふら〜っと、コロッセオに立ち寄ると、何だか、ディズニーランドのアトラクションに並んでいるかのように、人々が何かを待っている。しかも、テレビ局も来てる。ああ、何かイベント行われるのか。あ、もしかして法王の演説!?・・・そんな程度でした。(まぁ、結局のところ、私はキリスト教ではないから、そんなに詳しくないのです。)

せっかくだから、法王の演説を聞くために待とうかしら、とも思ったものの、イベントが始まるのは3時間後だとわかる。そして、どうやら人でごった返し、帰るのが大変になるということを知る。また、イベントがものすごく長い、ということも知る。

そういうことを考えると、「待つの、やーめた」となるわけです、私の場合。(だって、結局のところ、私はキリスト教徒ではないのだから)

儀式の模様が生放送で中継されるため、自分が借りたアパートに戻って、テレビで法王の演説を聞くことに決めました。

でも一つだけ問題が。儀式が行われるので、コロッセオ付近の道は規制されていて、近くを通るバスの運行も止まっていたのです。だから私は40分くらいかけて歩いてアパートに戻る羽目になりました。

夜の7時半になり、コロッセオで儀式が始まります。おぉ〜、なかなか素敵!こんなに人が集まるんだ〜、うーん、待ってて生で見たほうがよかったかなぁ、なんて思ったものの、30分も経つと、何だか飽きてくる自分が・・・

儀式というものは、例外なく、“前置き”というものが長いのです。肝心の法王の演説の前の習慣的な儀式が長過ぎて、私は法王の演説を聞くことなく眠ってしまいました。

結論:キリスト教でもなく、あまり詳しくもない私が、 敬虔的な人々が集まる『主の受難の儀式』の現場に立ち会わないという選択は正しかった。

イースター期間中にローマにいたにも関わらず、全然まともにイースターらしきイベントに参加していないじゃないか、と言われればそれまでですが、でも自分としては十分イースターの雰囲気を味わったので大大満足です。

店に行けば 、イースターのお菓子が売られ(買わなかったけど)、人々が“Buona Pasqua! (復活祭、おめでとう!)"と言い合うのを見るだけで、十分楽しいのです。

そうそう、人と言えば、今回は前回以上に、たくさんの面白い人たちを観察することができました。イースター休暇を利用してローマに来た観光客でいっぱいで、コルソ通りも、パンテオンも、トレビの泉も、スペイン階段も今まで見たことがないほどに、人でいっぱいに。こういう場合、ゆったりできないし、建築物そのものを楽しむというわけにもいかないから、せっかくだから人をメインに見て回りましょうと、見るべき視点を急遽変更。

バチカン市国
(後ろにいる大量の人たちは、教会に入るために並んでいます)

で、まあ、毎回思うんですけれど、ローマにいる人たちって、なんて面白いんでしょう!特に私は、スペイン階段がお気に入りになりました。観光客・ローマ在住らしき人が階段のところにズラ〜っと座って、おしゃべりしたり、ボケーっとしたり、いちゃいちゃしたり、本を読んだり、好き勝手やっているわけです。(その周りではもちろん、写真を撮る人たちでごった返しています。)その光景を見た私は、完全にウキウキ気分になって一人ニヤニヤしながら階段を上る・・・はたから見たら、超ハッピーな女子に見えることでしょう・・・

スペイン階段を指差して何やらディスカッションをする観光客


むむむむむ


こちらは、スペイン階段にて、飼い犬とデート(?!)を楽しむイタリア人のおじさん。私が階段を上る時は、こんな状態でしたが、下る時は犬を自分の頭にのっけて私に見せびらかしていました(でも、その時は写真撮らなかった・・・)

観光地いたるところが、人で溢れていた・・・と言うと、もしかしたら語弊があるかもしれません。実は今回初めて知った衝撃的なことがあるのです。

それは、私の思い出の場所、トラステヴェレにあまり人がいなかったこと!『ローマの休日』のロケ地にもなった真実の口も、サンタンジェロも、バチカンも近いから、トラステヴェレも人が多いんだろうなあ、と少しビビりながら寄ってみると、あら、何だか空いているわ、と拍子抜けしてしまいました。私は、トラステヴェレは観光で絶対に訪れるべき場所だと勝手に思っていたので、一般の観光客にはそれほどこの場所が知られていないということを初めて知りました。

そして、いくら観光客で観光地がごった返す、と言っても、やっぱり朝早い時間はほぼ誰もいないということを再確認しました。大体、皆様、朝の10時くらいから行動するのかしら?朝8時頃にローマの中心を訪れると、とても優雅なひと時を過ごすことができます。

もし観光シーズンにローマを訪れるけれど、人多いのは嫌!という方は、ぜひ朝早く起きて、朝の素敵で静かなローマをお楽しみください。

トラヤヌスの市場付近、朝8時頃

あとがき:実は2014年のイースター日はある意味、特別だと思う。というのも、4月20日復活祭日の翌日、4月21日はローマ建国記念日だから(建国日はもちろん固定)。建国記念日には、古代ローマ人に扮した人たちがローマ市内をパレードするらしい。

ローマ建国記念日(2767回目)のイベント模様
Sunday Timesより


って、えー!!!ちょっと待ってよ、私って結構大事なイベント時期にローマにいたのに、なんでどれも見逃しちゃったんだろう・・・今年は仕方がないとしても、去年は私は一体何をしていたのぉぉぉ!本当にローマ建国記念日の存在何て知らなかった。

でも3度目の正直で、ちゃんとイースターとローマ建国記念日のことは、今後も忘れません。



記念碑に込められた感動的なメッセージ in Warsaw




ワルシャワ「集荷場」

記念碑ーモニュメントーは、それぞれ記念する対象者・対象物のストーリーを語るシンボルであるが、果たして記念碑に込められたメッセージを、記念碑を見ただけで汲み取れる人はどれくらいいるのだろうか?

残念ながら、私は記念碑を見ただけでは、それが示す背景や思いを汲み取れる人ではない。アートみたいなものだと思う。アーティストは自分が表現したいものを言葉ではなく非言語的な形にするけれども、私はもともと鈍感なタイプなので、作品を言葉で説明してもらわないとわからないのだ。

なので、ポーランド・ワルシャワにある集荷場 (ワルシャワ・ゲットー)の跡地に建てられた記念碑をたまたま一人で見かけた場合、間違いなくスルーしてしまっただろう。

しかし、今回はワルシャワの無料ウォーキングツアーに参加して、説明をしてもらったので、よく理解できた。そして不覚にも涙を流してしまった(ちょっとだけだけど)。

Free walking TOURという団体が提供している無料ツアーは(時期によって異なるけれど)4つあり、集荷場を訪れるのは、Jewish warsawツアー中のことである。(ちなみに他3つは、Communistツアー、Old Townツアー、Alternativeツアー。私は4つ全てに参加してしまったけど、どれも素晴らしかったです。)

ポーランドは歴史的にユダヤ人が多い地域であり、そのためナチスによる被害も相当な物だった。ホロコーストが始まる前までは、ワルシャワにいたユダヤ人は当時のワルシャワ全人口の約30%に及ぶ35万人以上。しかし、ホロコーストにより現在ワルシャワに住むユダヤ人はほとんどいない。

Jewish warsawツアーは、そのワルシャワに住んでいたユダヤ人達の足跡ー彼らがどのようにしていなくなってしまったのかーと、それを示す記念碑を辿るツアーである。

このツアーで学んだこと。

1940年11月にワルシャワでユダヤ人ゲットーが作られたこと。そこにユダヤ人達は強制移動をさせられ、ゲットーが作られる前にもともと住んでいたポーランド人も、違う場所に移動させられた。

環境の悪いゲットー内で、ユダヤ人達は次々と死んでいったが、それでもナチスが望んでいた数には達しなかったため、もっと手っ取り早い方法として、ホロコーストが1942年から行われたこと。

ユダヤ人を助けようとした勇敢なポーランド人がいたこと。ジャン・カルスキ(Jan Karski)は、ナチスの絶滅収容所の実態を目の当たりにし、それを世界に訴えようとした人物である。イレーナ・センドラー(Irena Sendler)は、ゲットーにいる約2500人のユダヤ人子供たちをゲットー外に連れ出し、かくまった人物である。

それと同時に、積極的にナチスに協力したポーランド人もいたこと。当時ユダヤ人を助けようとする人たちは、家族ぐるめで、死刑になるということだったから。

こういう話を聞きながら、記念碑や跡地を回ると、なんともその場所からのメッセージがひしひしと伝わってくる。

特に私が一番感動したのはツアーの最後の場所となった、集荷場(Umschlagplatz)。ここはナチスがユダヤ人をトレブリンカ強制収容所に移送するために利用した鉄道駅の跡地。

集荷場の跡地に作られたユダヤ人追悼のモニュメント
Warsawtour.plより

ユダヤ人達は、最初の頃は強制収容所に連れて行かれると殺されるという噂を聞いても、さすがにそこまで残酷なことをされないだろうと信じ、言われたままにゲットーから強制収容所への移動を行った。しかし、時が経つにつれ、やはり噂は本当だと気づく。まだ生き残っているユダヤ人達は、最後の抵抗として1943年4月19日に武装蜂起を敢行(ワルシャワ・ゲットー蜂起)。しかし抵抗むなしく、 5月16日にはユダヤ人たちの終わりを告げた。その5月16日まで、この集荷場から、トレブリンカ強制収容所行きの電車が出発していた。

この跡地に、ワルシャワ・ゲットー蜂起から45年後の1988年、ホロコーストで亡くなった人々を悼む記念碑が建てられた。この記念碑についての無料ツアーのガイドの説明は以下の通りである。

「入り口の上にある半円形の中には、折れた木が描かれています。この"折れた木 (a broken tree)"というのは、ユダヤ人たちにとって、"粉々にされた人生(a broken life)"という意味を示します。モニュメントの中に入ってみましょう。四角い壁に囲まれて、列車の中にいる感覚になりませんか?この場所から、ユダヤ人達は強制収容所へ列車に乗って連れて行かれました。目の前の壁には、犠牲者30万人以上のユダヤ人を代表した、448つのユダヤ人たちの典型的な名前が彫られています。さて、入り口と反対側の壁の間に縦に細長い隙間があります。この隙間からは、立派に育った、折れていない木が見えます。折れた木が絶望の象徴であるならば、この立派な木は、未来と希望のある人生の象徴です。ここで未来への希望を見いだしたところで、このツアーを終えたいと思います。」

この“壁の隙間から見える立派に育った木”の話を聞いたところで、私は「なんて感動的なメッセージ性を持った、アーティステッィクな記念碑なんだろう」と興奮した。私は基本的にハッピーエンド的な話が好きなのだ。あまり暗すぎる話には耐えられないのだ。

この集荷場にくる前までに、他の跡地や記念碑を訪れ、話を聞き、少し気持ちがどんよりとしていたところで、最後の最後に、この、“死へ向かう出発地”という最悪な場所で"未来への希望"を表現した記念碑に出会うと、「ああ、世の中まだ捨てたもんじゃないな」となんだかよくわからないけれども、そんな気持ちになる。

ワルシャワの集荷場にある亡くなったユダヤ人のための記念碑は、私が初めてそのメッセージを理解した記念碑となった。




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