2014/10/29

プッチーニオペラに登場するダメ女から学んだこと



写真:TimeToLoseより
日本人だと、オペラの曲をCMで聞いたとか、海外オーディション番組で有名になった人の曲を聞いたことがある程度で、オペラを劇として丸々1つ観たことがある人は多くはないかもしれない。

でも、オペラって意外と面白い。もちろん音楽を楽しむことも重要な要素だけれども、ストーリーから色々と学べることがある。

今回は、イタリアの作曲家プッチーニ作の有名なオペラ『蝶々夫人(Madama Butterfly)』に登場する女性ー恋愛においての"ダメ女"ーを考察し、 "ダメ男"に対する"ダメ女"の行動とその結果、そして考えられる解決法について学んでいきたい。


悪いのは誰?
ーマダム・バタフライの場合ー

 長崎を舞台にしたオペラということで、日本人にも有名な『蝶々夫人』。駐留米軍人として日本にやってきたピンカートンは、あるつてで、良家生まれの"芸者"蝶々さん(この時はまだマダムではない)を結婚相手として紹介される。結婚となれば、一生を共にするという信念と相手への責任が重要だが、実はこのピンカートン、結婚に対して浅はかな考えを持つ男であった。

恋愛における"ダメ男"〜自分勝手な無責任男〜

"ダメ男"の定義は色々とあるだろうが、『蝶々夫人』に登場するピンカートンは"ダメ男"の要素をいくつも兼ね備えた、女性にとってのクソ野郎である。

実はピンカートンには、すでにアメリカに残してきた婚約者がいたのだ。それなのに、ちょっとお見合いの場で蝶々さんと話しただけで、彼女の魅力にクラクラ〜ときて、"一時的にでも"彼女と一緒にいたいと思って、結婚してしまう。

そう、結婚よ、結婚。

別にね、婚約者がいながら、一時的に浮気心を抱くのは仕方ないかもしれない、うん。

でも、結婚はダメでしょう。もう、この時点でまず、アメリカにいる婚約者を傷つけているわけです。

もし、ピンカートンがマダム・バタフライ(ここからは、マダム)が一生を添い遂げるのであったならば。

でも、この愚かなピンカートン、劇中でこう歌っている:

 世界のどこでも、ヤンキーは運命に任せて碇を下ろす。あらゆる美女の愛を手に入れる。だから、俺は日本式に結婚するんだ。999年もの間、毎月いつでも契約を破棄できるという条件で!
ーアリア『Dovunque al mondo』より

この愚か者ーーーーー!(と、ピンカートンの同僚のアメリカ人も言っている。私たち女性の味方だわ・・・)

こういう考えが、後々女性をどれほど傷つけることになるのかわからない、単細胞男なのだ。一時的感情で女性に言いよるも、飽きたり、都合が悪くなったらポイとする男・・・

実際にピンカートンと蝶々夫人が結婚した3年後、ピンカートンは日本での任務が終わり、帰国することに。彼がとった行動? それはもちろん、蝶々夫人を正式な妻として一緒にアメリカに連れて行く・・・わけはなく、「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」なんて、具体的にはいつなのかはっきりさせず、一人アメリカに戻ったのである。

ピンカートンさん、普通3年間結婚生活をしていたら、情というものが移りません?3年間一緒にいても、その間に子供ができても、自分勝手な行動がとれるわけ?(答えはイエス)

帰国したピンカートンは、婚約者とあっさりと結婚。蝶々さんにはこの事実を自分から伝えるのは難しいから、知り合いのつてで伝えてもらおうと、自分の責任を放り投げる。ピンカートンの知り合いは、預かった手紙の内容を蝶々さんに伝えようとするも、蝶々さんが可哀想で、真実を伝えることはできなかった・・・

ある日、ピンカートンはアメリカ人の奥さんとともに、日本に一時的にやってくる。蝶々さんに会おうとするも、やっぱり怖すぎて、現実から逃げるピンカートン。代わりにアメリカ人奥さんが蝶々さんの目の前に現れて、こう提案する。「あなたの子供を引き渡してくれたら、私たちが育てます」と。

子供を受け取るために、ようやく蝶々さんのもとに現れることを決心したピンカートン。しかし時はすでに遅し。蝶々さんを目にした時は、彼女は自害していた。この光景を目撃して、悲しくなったピンカートンは泣き叫ぶのであった・・・

蝶々夫人の描かれ方

別にあえて悪者として描かれたわけではないが、結果的には準主役級(男性群では主役) なくせに、あまりにも情けなさ過ぎる人物として観客から判断されてしまっているピンカートン。では、一方の蝶々夫人はオペラの中でどういう風に描かれ、観客から認識されているのだろうか?

ピンカートンと恋に落ち、一途な思いを持ち続ける素直な蝶々さん。

家族も捨て、財産も全てピンカートンに捧げ、ピンカートンが帰国する際でさえも、往生際悪くならず、彼が戻ってくることを信じる誠実な、思いやりのある、男をたてる大和撫子の鏡と言える、蝶々さん。

ピンカートンはもう自分のもとに戻ってこないと気づいたとき、ピンカートンやそのアメリカ妻をせめず、自分の小さい子供の将来のことを考えピンカートンに引き渡し、名誉のために死んでいった芯が強い蝶々さん。

という風にオペラでは描かれている。



でも、本当にそうなのかしら?


感動的なアリア?それとも・・・

このオペラで一番有名なアリアはもちろん『ある晴れた日に』。アメリカに帰国した夫を待ち続ける蝶々夫人に、お手伝いさんが「もう彼は戻ってこないのではないか」と言われた際に、「おだまりなさい!!!彼は戻ってくるんだから!」と歌うこの曲。

 ある晴れた日に、遠い海の彼方に船が見えるの。見て、あの人よ!でも私は彼を迎えには行かない。近くの岬であの人を待つの。彼は私のことを「かわいい奥さん、オレンジの花」と昔と同じように呼んでくれるでしょう・・・いつかそんな日が絶対に来るのよ!私は彼を信じて待っているの!
ーアリア『Un bel dì, vedremo』より

このアリアは、メロディーがドラマチックなうえ、何しろ高音続きの曲だから、これを歌う蝶々さん役のオペラ歌手も相当真剣に、必死に、情緒豊かに歌うので、 さらに感動的に聞こえてしまう。

やっぱり日本人女性の主人公というのもあって、ひいき目に見てしまう(聞いてしまう)分もある。

だから私も最近までは、このアリアは普通に感動的な曲で、蝶々夫人も皆に思われているように芯の強い女性だと思っていた。


でも。


ある日気づいた。(それは、ある晴れた日ではなかったかもしれないが。)

この曲って、なんて悲しすぎる曲なんだろう。そして、蝶々夫人って、何て可哀想すぎる人なんだろう、と。(結末を知っている観客からしてみれば)絶対に戻ってこないピンカートンを信じ続け、最後は自分を破滅に導いてしまうのに、それを知らずにこんなにひたすら待ち続ける、何て可哀想な蝶々さん・・・

そこまで思うのはまだよかったけれども、さらによく考えると、この曲にも、蝶々夫人にも腹が立ってくる。こんなバカ女を描いて、プッチーニは日本人をバカにしてるの?って被害妄想なんてしてみてしまう。

なぜこんな風に私が思ったか、説明させてください。


待って、待って、待ち続け、待ち疲れさえもしない女

"自分に尽くしてくれる女" というものは、男の憧れなのかもしれない。もしかしたらプッチーニが生きていた時代では、そういう女が"いい女"だったのかもしれない。でも、現代に伝えられている恋愛ルールにおいては、蝶々夫人の行動は全くもって、自分を"都合のいい女"になり下げるものだと言ってもよい。

これは皆さんご承知のことですが、男は女を追いかける生き物で、女は男に追いかけられる生き物だとのことです。なので自然に基づいて、女は自分を好きになってくれた男と一緒にいた方が、自分が好きになった男と一緒になるよりも、幸せになる可能性が高いそうです。

だから、多分、ピンカートンと結婚したところまでは、別に蝶々さんは何も悪くない。ピンカートンは最初から、蝶々さんとは一時的な付き合いだと思っていても、彼女はそのことを知らずに結婚したのだから、悪いのは100%ピンカートンである。ここまでは、仕方が無い。

問題はピンカートンが蝶々夫人を置いて、一人アメリカに帰った後である。客観的に見て、普通愛している奥さんを日本に置いてきぼりにするはずはない。はずはないことをピンカートンがしたということは、彼は蝶々夫人を愛していないのである。100歩譲って、日米間の政治的問題で蝶々夫人をアメリカに連れて行けなかったとしても、好きだったら、ちょくちょく会いにきたり、手紙を毎週送ったり、何かしらの手段で蝶々さんとの繋がりを保つでしょう。それさえも彼はしなかった。ピンカートンは完全に蝶々夫人との連絡を閉ざしたのである。

つまり、現代に置き換えると、ピンカートンは蝶々夫人にメールもLineメッセージも全く送らなかったのである。フェードアウトである。

男は女に連絡をしなくなった時は、その女への興味を失った時である。どんなにかつて彼女のことが好きだろうと関係ない。もう好きではなくなったのだから、彼女とはもう、関わりたくないのである。

そうなったら、もうどうしようもできない。捨てられたくない女は立場が逆転したように、男を追いかけ、男に連絡するという行動に出るが、これは余計嫌われるという結果に終わる。この点では、蝶蝶夫人は何もしていない。ピンカートンにこれっぽっちも連絡を取ろうとしていない。その行動は正しい。

だからって、ずーーーーーーーーーーーーーっと待ち続けているのが良いのかと言えば、それも完全な間違いである。

確かに、逃げた男を放っておいたら、そのうち男がまた気が変わって、女のもとに戻ってくるかもしれない。でも、そういう男は信用がならぬ、やめておいたほうが良い。それなのに、そんなやつかもしれない男を蝶々夫人は待ち続けた。


受け入れたくない現実を自分の都合の良いように解釈するダメ女

周りから親切にも、「ピンカートンを諦めたほうが良い」と助言を受けているにも関わらず、もしくはそれ故ムキになるのか、「彼は絶対帰ってくる」と自分の意見を突き通す。だって、「彼が『帰ってくる』って、言っていたのだから」。ここまでくると、この女、もうどうしようもない。

もしかしたら、蝶々夫人はピンカートンを信じ続けていたのではなく、"信じ続けたかった"のかもしれない。彼が戻ってこない事実を受け入れるのは辛いから。もしくは、ここまで信じ続けてあげたら、彼もさすがに戻ってくるだろうと、勝手な解釈をしたのかもしれない。

もしくは、こう、彼を待ち続ける自分に酔っているかもしれない。

いずれにせよ、現実に背を向けて、 ありとあらゆるシチュエーションを自分の頭の中で作り上げ、ピンカートンが未だに戻ってこない理由を正当化させたからこそ、待って、待って、待ち続けられたのだろう。そのおかげで、自分の未来への希望が消えていくことも考えずに・・・


ダメ男を待ち続けた女の未来

ダメ男(もう彼女への興味を失い、絶対に彼女のもとに戻るつもりもない男)を3年間も待ち続けた蝶々夫人。その結果は、3年の間に、歳をとって、経済的にも苦しくなって、再婚のチャンスも逃がして、挙げ句の果てには、やっとピンカートンに会えるという時に、自ら死ぬという決断をしたというものである。自分の子供がいるのに、現実を突きつけられて生きていく意味をなくしたから自殺という行動を起こした蝶々さんには、共感を持つことができない。男のために自分の未来と、子供への責任を放棄したなんて、同じ女としては情けないとしか言いようがない。


マダム・バタフライから学んだこと

蝶々夫人のように、連絡の取れない男をいつまでも待ち続けてはいけない。なぜなら、彼はあなたのことを、あなたが彼を想っているほど、あなたに情をもう持っていないから。連絡が取れないということは、そういうことだから。

傷つきたくないからといって、現実逃避をしてはいけない。確かに彼が去ったという事実を受け入れるのは辛いが、その傷は絶対に、"いつか晴れた日に"でも癒える。時が経てば、必ず彼への思いは薄くなっていく。

逆にいつまでも彼に執着していると、 本当に現実に引き戻されたときの傷はなかなか癒えない。そして、新しい、今度は本当に運命の人かもしれない男にも出会えない。いつでも彼が戻ってきてもいい状態にしていると、自分の生活が、人生がままならなくなってしまう。

そして最後にーこれが一番重要なことだがーたかが男のために自分の身を滅ぼしてはならない。自分の身を投げ出す相手がそこまでの完璧な男だと信じ込むのは、ただの妄想にすぎない。どんなに彼のことが好きだろうと、彼だって結局、ただの人間である。自分の命を捧げるほどの愛は、自分の子供に捧げるべきであって、男ー特にピンカートンのようなダメ男ーになんかあげてはいけない。

教訓:
もし彼と連絡が繋がらなくなったら・・・
"ある晴れた日に"彼とまた元通りの関係に戻れるなんて期待せずに、
すぐに彼のことは忘れて、
"ある晴れた日に"新しい人に出会うことを楽しみに生きていったほうが良い。絶対に。
 



2014/10/27

【インド上級者編?】デリーでインドっぽくないことをしたくなったら


さて、突然ですが、質問です。
(Yes/Noで答えてください。)

あなたは、インド・デリーに行く予定がありますか?



インド観光は楽しみだけれども、インド料理は苦手ですか?
もしくは、別に観光中に毎回インド料理じゃなくてもいいと思いますか?



旅行資金は多いですか?



ちょっとお金持ち風な雰囲気に包まれてみたい?



その、いわゆるインドのマハラジャ級の金持ちじゃなくて、まぁまぁそこそこのお金持ち風の雰囲気だけれども、それでもいい?



インドにいるくせに、ヨーロッパにいるような錯覚に陥ってみたい?



あなたがデリーにいる時期は、秋〜冬の季節?



そこまで食事の味にはうるさくない?



歌のうまさ(演奏の質)にこだわりはない?




もし、以上の質問全てにあなたが当てはまるのであれば、ぜひ世界遺産クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)の近くにあるレストラン「Olive Bar & Kitchen ("One Style Mile")」に寄ってみてください。

レストランは、Qutub Minarから歩いて4分程度のところにあります。 Qutub Minarの入り口を背にして左方向に進みます。そして、Qutuba Minarの敷地に沿うようにして緩やかな坂を上がって行きます。白い建物がいくつかあるので、その方向に歩いて行くと、一番最初にある写真のように「One Style Mile」にたどり着きます。

2003年にオープン以来、数々の賞を受賞してきたという、このレストラン。
ということは、食事が美味しいということだが、それ以上に、建物と雰囲気が素晴らしい!

地中海料理を提供しているからなのかどうかはわからないが、レストランの雰囲気は、まさに地中海側のヨーロッパ(ギリシャとか)。表現がそのまま過ぎるけれども。。。

じゃあ、ただ単にヨーロッパの建物をまねして作ったレストランなのかというと、
違う!!!

このレストランがある建物はつい最近建てられたものではなくて、18世紀に建てられて、Saraiさんという人物が当時所有していたハヴェリ(Haveli)、つまり、インドの(豪華な)個人マンションの一部を使用しているのだ。

だから、なんとな〜く、優雅な香りが漂っているような・・・気分。

ちなみに当時Saraiさんが所有していたハヴェリは1918年に取り壊され、取り壊されたパーツがそれぞれ違う人たちのものに渡り、現在「Olive Bar & Kitchen」が入っている建物はSarai家とは全く関係のない人が所有しているとのこと。

さてさて、白い壁の建物に似合うものと言えば・・・緑よね。

もちろんレストラン室内で食事もできるけれども、屋外で食事をすることをオススメ。お昼のランチ時間、ちょうど良い日光を感じながら、立派な木の葉が作る木陰の下で食事をするのって、ものすごく・・・・

ヨーロッパっぽい。

でも、あまりにも暑かったり、寒かったりしたら外で食べられない。だから、デリーで一番良い季節の秋〜冬の初旬がオススメというわけ。

レストランにはインド人も多いけれども、良いところの人たちばかり(かといって、バリバリに、パーティーに出席するような格好はしていないので
ご安心を。)そして、インドに住んでいるような外人も多い。(日本で言う、駐在員たちとその家族?)観光客っぽい人は、今回私が行ったときは、見かけなかった。

だから、「ちょっとワタクシ、普通の観光客とは違くってよ、モダンなインドのハイソな感じを楽しみたいの」っていう人なら、結構気に入るかも。

レストランの雰囲気はこれくらいにして、肝心の食事の感想を。

うーん、まぁ、美味しかったけれども、別に感動するほどの美味しさではないかも。普通に「美味しいね」って思う程度の、美味しさ。

ただ、インドに在住している日本人から言わさせていただきますと、普通に美味しい魚介類とか、牛肉のハンバーガーを食べられる、ということは、

普通じゃない。凄いことなのだ!!!!

(とは言っても、私にとっては、「まあ、すごいね」程度。他のインド在住の日本人だったら、もっと感動する。)

そういう裏事情を考えたら、まあ、食事の味も上出来。あとは、日曜日のブランチ(ビュッフェ)が一人税込みRs3200(約5500円)、もしくはアルコールなしでRs2500(約4300円)が安いと思うか、高いと思うかの問題である。

その他一点だけ残念点をあげると、ラウンジミュージックとして流れていた生ボーカルが微妙だった点である。男性と女性が、録音されたバックミュージックに合わせて歌っていたのだけれども、なんかビミョー。下手じゃないけれども、上手くない。「とりあえず何かしら音楽が流れていたほうがいいでしょ」的な感じの出来具合だから、特に演奏を楽しむことはできなかった。

ただ、これは別に批判ではない。ただ単に、そこまで上手ではなかった、と言っているだけ。


総合的にレストランを評価すると、10点中8点。その主な要素はもちろん、レストランがある建物と、雰囲気である。

今はちょうど改装中だったが、レストランと同じ場所にデザイナーズショップが新たにできるみたいなので、ついでがてら、寄ってみるのもいいかもしれない。

あ!あと言い忘れていたことがあった!

今回写真は撮っていないけれども、というか、撮っていないのが当たり前なのだけども、
レストランのトイレのデザインがとーーーーーっても、素敵で、感動した。

外と同じように白い壁で作られていて、洗面所がすっごくオシャレだったの。なんていうのかしら、コロニアル風?

ああ、こんなトイレうちにも欲しい、というか、ここ綺麗すぎるから住めるんじゃないの?って思うほど。

もしOlive Bar & Kitchenで食事をする場合は、トイレには必ず寄ってください。
で、できればトイレの写真を撮って、私に送ってください(笑)


以下、レストランの情報と、私が撮ってきた写真をどうぞ↓↓↓

Olive Bar & Kitchen
住所:One Style Mile, Haveli No. 6, Kalka Das Marg, Mehrauli, New Delhi, DL 110030 インド
電話番号: +911129574444(事前予約をすることをオススメ)
営業時間: 12時30分~0時00分
ホームページ: http://www.olivebarandkitchen.com/

その他、同系列のレストランがムンバイ、プネ等にもあるようです。














【関連リンク】
お気に入りのローマの観光ルート
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2014/10/10

ドバイのバルコニーから世界を見渡す






1年前のちょうど今頃、私はドバイにいた。

大学を卒業し、社会人になる直前に、もう二度と行く機会は相当ないであろうインドへの旅行中に、
3日間、ドバイに立ち寄ることにしたのだ。

なぜ急にドバイかって?

私も『ドバイ』なんという、中東にあるアラブ首長国連邦の1部分のことなんて、気に留めたことはなかった。

でも、イタリア留学中に出会った、私が当時好きだったイタリア男がドバイに短期留学をした、
という話を聞き、しかも彼がドバイ好きだと知り、ドバイに行ってみたくなったのだ。

くだらない理由だが。

そんなくだらない理由で来てみたドバイだが、私の好きな場所の1つとなった。
というよりも、ここで働きたいと、本気で思った。

ーーーーーー

私は今、ドバイに何年も住んでいる、スウェーデン人女性建築家のアパート23階のバルコニーの椅子に腰掛けている。目の前には、世界一高いビル、ブルジュ・カルファがそびえ立つ。
このアパートも結構な高さがあるはずだが、ブルジュ・カルファはそれよりも遥かに高い。

今日は、ドバイ滞在の最終日だ。 インドへの旅に戻る前に、今夜はバルコニーからドバイ・ファウンテンのライトショーを楽しむ。ただの噴水だけなのに、なぜかとっても楽しめる。
世界一の高層ビルのすぐ側にある、世界最大の噴水だけあって、23階からの眺めでも、水しぶきがよく見える。

ショーの公演は1回5分。終わった後少し経てば、また再開される。私はそれを何度も何度も繰り返し眺める。この眺めはなかなかゴージャスだ。この夜景を見ている私は、間違いなくリッチな人々の仲間入りだ。

ブルジュ・カルファを見上げながら、ドバイ・ファウンテンを見下ろしながら、ある曲を思い出す。

"Moon river, wider than a mile.....There's such a lot of worlds to see......"
(ムーン・リバー、1マイルよりも広い。見るべき世界がたくさんある。)

『ムーン・リバー』 といえば、ニューヨークの曲だ。オードリー・ヘップバーンがニューヨークを舞台にした映画『ティファニーで朝食』でアパートのバルコニーで歌っている曲だ。だから、ドバイのための曲ではない。

しかも、『ムーン・リバー』の歌詞って意味不明。全然ドバイ向けの曲ではない感じ。

でも、このちょっとメランコリーで、でもリッチで優雅な感じの曲調で、”見るべき世界がたくさんある”と歌詞にある曲が、今私がハイエンドのダウンタウンドバイにあるアパートのバルコニーに座っている心境を語っているのだ。

私がドバイで会った人たちは、今まで知り合うことのなかったような人たちだ。
そして彼らは、私が経験したことのない、憧れを抱かせる生活を送っている。
ように見えた。

アパートの1室を貸してくれたスウェーデン人女性に誘われて、ディナーに参加した夜。
彼女の友達が集まっていたが、とても国際的だった。

建築家のスウェーデン人女性。
エンジニアのエジプト人男性。
コンサルタントのシリア人男性。
何をしているのか忘れてしまったが、レバノン人女性。
そして、こちらも何をしていると言っていたか忘れたが、途中から参加してきたアメリカ人女性。

彼らは全員、30代・40代のように見受けられた。

全員違う国籍の人々が集まると、英語での会話となる。全員とても流暢な英語を話す。
そして、違う国籍の人々がその夜何について話したかというと、まぁ、色々と知的なトピックについて議論していた。

例えば、香水について。彼らの知り合いに香水の香りを配合するフランス人男性がいるらしい。彼はなかなか、その分野で成功しているという。

そこで、レバノン人女性が言う。
「彼がフランス人だから、パフューマーとして成功したのよ。フランス人というブランドがあるもの。これが例えば中国人とか、違う国の人だったら、成功するのは難しいと思うわ」

これに対して、スウェーデン人女性建築家が言う。
「そんなことないと思うわ。例えば日本人とかが香水の香りを作ったとしても、成功するはずだと思うわよ」

こんな知的そうな、少なくとも香水のパフューマーに関する話題なんて、日本のレストランのテーブルから聞こえたことなんてない。

私は隣に座って、シーシャを吸っているシリア人男性に言う。
「ドバイって、ニューヨークやロンドンよりも、もっと国際的に感じる。もっと安全だし、人々ももっとオープンだと思う」

シリア人は答える。
「そうだね。ドバイはとても安全だよ。それに、そう、ニューヨークやロンドンよりも国際的だ。向こうでは、人種同士で固まる傾向があるけれども、ドバイは人々が交わっているから」

これにより、私はドバイを、ニューヨーク・ロンドンを超える国際都市と認定し、 私もここで国際人になるのだと思いに耽ったのである。

それにもう一つ。

ドバイに着いてからの3日間、デパートでも、サファリツアーでも、タクシーに乗る時でも、出会う人たち何人もから、
「ドバイに仕事を探しにきたの?」
「ドバイで働いてるの?」
と質問されたのである。

こんなことは初めてだ。
特に「仕事を探しにきたの?」なんて質問をされることは、とても不思議だった。

でも、ドバイに仕事を求める人たちが多いと気づく。
ここで成功するということは、リッチになるということ。
『ドバイ・ドリーム』である。

だから、この3日間で「私もここで働くんだ」なんて思ってしまったわけである。
砂漠の中に浮かぶ、リッチな生活を思い描いて。
 ーーーーーーーーー
その1年後。

私はドバイではなく、インドで働いている。

ドバイでの仕事はなかなか見つからなかったから、地理的に近いインドに来たというわけ。

4時間で行ける距離にあるから、ちょくちょくドバイに行って、コネクションを作って、
ドバイでの仕事を待とうという思惑だ。

でも、誤算であった。

これは私の心理的問題なのだが、地理的に近づくと、そこへの興味が薄れてしまうのだ。
こう、いつでも行ける、と思うと、結局行かずじまいになる、というような。

インド4ヶ月目だから、もうそろそろドバイに行こうとは思うけれど、なかなか腰が重い。

それに、ここインドに住んでいると、ドバイに出張に行く日本人に会うことが多いのだが、その人たちのドバイの、少なくともビジネスに関するイメージは、あまりよくない。ビジネスのやり方が、陰気だと言う。どういう意味かはわからないが。

そして、大事なこと。
ドバイにはインド人が多く住んでいる。

ここインドで大量のインド人を見かけているから、インドの外では、あまりインド人に会いたくないな、なんて、意味不明なことを考えてしまう。

もちろん、誰と過ごすかは、自分で選べるのだが。

そんなわけで、私のドバイへの忠誠心は薄れているのだが、それでも、やはりドバイはメルティング・ポットだと思う。 ドバイは、自分が世界と繋がっていると感じられる場所なのではないかと思う。

そんなことを信じて。私はインドの次に住む国を探している最中である。



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