2014/10/29

プッチーニオペラに登場するダメ女から学んだこと



写真:TimeToLoseより
日本人だと、オペラの曲をCMで聞いたとか、海外オーディション番組で有名になった人の曲を聞いたことがある程度で、オペラを劇として丸々1つ観たことがある人は多くはないかもしれない。

でも、オペラって意外と面白い。もちろん音楽を楽しむことも重要な要素だけれども、ストーリーから色々と学べることがある。

今回は、イタリアの作曲家プッチーニ作の有名なオペラ『蝶々夫人(Madama Butterfly)』に登場する女性ー恋愛においての"ダメ女"ーを考察し、 "ダメ男"に対する"ダメ女"の行動とその結果、そして考えられる解決法について学んでいきたい。


悪いのは誰?
ーマダム・バタフライの場合ー

 長崎を舞台にしたオペラということで、日本人にも有名な『蝶々夫人』。駐留米軍人として日本にやってきたピンカートンは、あるつてで、良家生まれの"芸者"蝶々さん(この時はまだマダムではない)を結婚相手として紹介される。結婚となれば、一生を共にするという信念と相手への責任が重要だが、実はこのピンカートン、結婚に対して浅はかな考えを持つ男であった。

恋愛における"ダメ男"〜自分勝手な無責任男〜

"ダメ男"の定義は色々とあるだろうが、『蝶々夫人』に登場するピンカートンは"ダメ男"の要素をいくつも兼ね備えた、女性にとってのクソ野郎である。

実はピンカートンには、すでにアメリカに残してきた婚約者がいたのだ。それなのに、ちょっとお見合いの場で蝶々さんと話しただけで、彼女の魅力にクラクラ〜ときて、"一時的にでも"彼女と一緒にいたいと思って、結婚してしまう。

そう、結婚よ、結婚。

別にね、婚約者がいながら、一時的に浮気心を抱くのは仕方ないかもしれない、うん。

でも、結婚はダメでしょう。もう、この時点でまず、アメリカにいる婚約者を傷つけているわけです。

もし、ピンカートンがマダム・バタフライ(ここからは、マダム)が一生を添い遂げるのであったならば。

でも、この愚かなピンカートン、劇中でこう歌っている:

 世界のどこでも、ヤンキーは運命に任せて碇を下ろす。あらゆる美女の愛を手に入れる。だから、俺は日本式に結婚するんだ。999年もの間、毎月いつでも契約を破棄できるという条件で!
ーアリア『Dovunque al mondo』より

この愚か者ーーーーー!(と、ピンカートンの同僚のアメリカ人も言っている。私たち女性の味方だわ・・・)

こういう考えが、後々女性をどれほど傷つけることになるのかわからない、単細胞男なのだ。一時的感情で女性に言いよるも、飽きたり、都合が悪くなったらポイとする男・・・

実際にピンカートンと蝶々夫人が結婚した3年後、ピンカートンは日本での任務が終わり、帰国することに。彼がとった行動? それはもちろん、蝶々夫人を正式な妻として一緒にアメリカに連れて行く・・・わけはなく、「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」なんて、具体的にはいつなのかはっきりさせず、一人アメリカに戻ったのである。

ピンカートンさん、普通3年間結婚生活をしていたら、情というものが移りません?3年間一緒にいても、その間に子供ができても、自分勝手な行動がとれるわけ?(答えはイエス)

帰国したピンカートンは、婚約者とあっさりと結婚。蝶々さんにはこの事実を自分から伝えるのは難しいから、知り合いのつてで伝えてもらおうと、自分の責任を放り投げる。ピンカートンの知り合いは、預かった手紙の内容を蝶々さんに伝えようとするも、蝶々さんが可哀想で、真実を伝えることはできなかった・・・

ある日、ピンカートンはアメリカ人の奥さんとともに、日本に一時的にやってくる。蝶々さんに会おうとするも、やっぱり怖すぎて、現実から逃げるピンカートン。代わりにアメリカ人奥さんが蝶々さんの目の前に現れて、こう提案する。「あなたの子供を引き渡してくれたら、私たちが育てます」と。

子供を受け取るために、ようやく蝶々さんのもとに現れることを決心したピンカートン。しかし時はすでに遅し。蝶々さんを目にした時は、彼女は自害していた。この光景を目撃して、悲しくなったピンカートンは泣き叫ぶのであった・・・

蝶々夫人の描かれ方

別にあえて悪者として描かれたわけではないが、結果的には準主役級(男性群では主役) なくせに、あまりにも情けなさ過ぎる人物として観客から判断されてしまっているピンカートン。では、一方の蝶々夫人はオペラの中でどういう風に描かれ、観客から認識されているのだろうか?

ピンカートンと恋に落ち、一途な思いを持ち続ける素直な蝶々さん。

家族も捨て、財産も全てピンカートンに捧げ、ピンカートンが帰国する際でさえも、往生際悪くならず、彼が戻ってくることを信じる誠実な、思いやりのある、男をたてる大和撫子の鏡と言える、蝶々さん。

ピンカートンはもう自分のもとに戻ってこないと気づいたとき、ピンカートンやそのアメリカ妻をせめず、自分の小さい子供の将来のことを考えピンカートンに引き渡し、名誉のために死んでいった芯が強い蝶々さん。

という風にオペラでは描かれている。



でも、本当にそうなのかしら?


感動的なアリア?それとも・・・

このオペラで一番有名なアリアはもちろん『ある晴れた日に』。アメリカに帰国した夫を待ち続ける蝶々夫人に、お手伝いさんが「もう彼は戻ってこないのではないか」と言われた際に、「おだまりなさい!!!彼は戻ってくるんだから!」と歌うこの曲。

 ある晴れた日に、遠い海の彼方に船が見えるの。見て、あの人よ!でも私は彼を迎えには行かない。近くの岬であの人を待つの。彼は私のことを「かわいい奥さん、オレンジの花」と昔と同じように呼んでくれるでしょう・・・いつかそんな日が絶対に来るのよ!私は彼を信じて待っているの!
ーアリア『Un bel dì, vedremo』より

このアリアは、メロディーがドラマチックなうえ、何しろ高音続きの曲だから、これを歌う蝶々さん役のオペラ歌手も相当真剣に、必死に、情緒豊かに歌うので、 さらに感動的に聞こえてしまう。

やっぱり日本人女性の主人公というのもあって、ひいき目に見てしまう(聞いてしまう)分もある。

だから私も最近までは、このアリアは普通に感動的な曲で、蝶々夫人も皆に思われているように芯の強い女性だと思っていた。


でも。


ある日気づいた。(それは、ある晴れた日ではなかったかもしれないが。)

この曲って、なんて悲しすぎる曲なんだろう。そして、蝶々夫人って、何て可哀想すぎる人なんだろう、と。(結末を知っている観客からしてみれば)絶対に戻ってこないピンカートンを信じ続け、最後は自分を破滅に導いてしまうのに、それを知らずにこんなにひたすら待ち続ける、何て可哀想な蝶々さん・・・

そこまで思うのはまだよかったけれども、さらによく考えると、この曲にも、蝶々夫人にも腹が立ってくる。こんなバカ女を描いて、プッチーニは日本人をバカにしてるの?って被害妄想なんてしてみてしまう。

なぜこんな風に私が思ったか、説明させてください。


待って、待って、待ち続け、待ち疲れさえもしない女

"自分に尽くしてくれる女" というものは、男の憧れなのかもしれない。もしかしたらプッチーニが生きていた時代では、そういう女が"いい女"だったのかもしれない。でも、現代に伝えられている恋愛ルールにおいては、蝶々夫人の行動は全くもって、自分を"都合のいい女"になり下げるものだと言ってもよい。

これは皆さんご承知のことですが、男は女を追いかける生き物で、女は男に追いかけられる生き物だとのことです。なので自然に基づいて、女は自分を好きになってくれた男と一緒にいた方が、自分が好きになった男と一緒になるよりも、幸せになる可能性が高いそうです。

だから、多分、ピンカートンと結婚したところまでは、別に蝶々さんは何も悪くない。ピンカートンは最初から、蝶々さんとは一時的な付き合いだと思っていても、彼女はそのことを知らずに結婚したのだから、悪いのは100%ピンカートンである。ここまでは、仕方が無い。

問題はピンカートンが蝶々夫人を置いて、一人アメリカに帰った後である。客観的に見て、普通愛している奥さんを日本に置いてきぼりにするはずはない。はずはないことをピンカートンがしたということは、彼は蝶々夫人を愛していないのである。100歩譲って、日米間の政治的問題で蝶々夫人をアメリカに連れて行けなかったとしても、好きだったら、ちょくちょく会いにきたり、手紙を毎週送ったり、何かしらの手段で蝶々さんとの繋がりを保つでしょう。それさえも彼はしなかった。ピンカートンは完全に蝶々夫人との連絡を閉ざしたのである。

つまり、現代に置き換えると、ピンカートンは蝶々夫人にメールもLineメッセージも全く送らなかったのである。フェードアウトである。

男は女に連絡をしなくなった時は、その女への興味を失った時である。どんなにかつて彼女のことが好きだろうと関係ない。もう好きではなくなったのだから、彼女とはもう、関わりたくないのである。

そうなったら、もうどうしようもできない。捨てられたくない女は立場が逆転したように、男を追いかけ、男に連絡するという行動に出るが、これは余計嫌われるという結果に終わる。この点では、蝶蝶夫人は何もしていない。ピンカートンにこれっぽっちも連絡を取ろうとしていない。その行動は正しい。

だからって、ずーーーーーーーーーーーーーっと待ち続けているのが良いのかと言えば、それも完全な間違いである。

確かに、逃げた男を放っておいたら、そのうち男がまた気が変わって、女のもとに戻ってくるかもしれない。でも、そういう男は信用がならぬ、やめておいたほうが良い。それなのに、そんなやつかもしれない男を蝶々夫人は待ち続けた。


受け入れたくない現実を自分の都合の良いように解釈するダメ女

周りから親切にも、「ピンカートンを諦めたほうが良い」と助言を受けているにも関わらず、もしくはそれ故ムキになるのか、「彼は絶対帰ってくる」と自分の意見を突き通す。だって、「彼が『帰ってくる』って、言っていたのだから」。ここまでくると、この女、もうどうしようもない。

もしかしたら、蝶々夫人はピンカートンを信じ続けていたのではなく、"信じ続けたかった"のかもしれない。彼が戻ってこない事実を受け入れるのは辛いから。もしくは、ここまで信じ続けてあげたら、彼もさすがに戻ってくるだろうと、勝手な解釈をしたのかもしれない。

もしくは、こう、彼を待ち続ける自分に酔っているかもしれない。

いずれにせよ、現実に背を向けて、 ありとあらゆるシチュエーションを自分の頭の中で作り上げ、ピンカートンが未だに戻ってこない理由を正当化させたからこそ、待って、待って、待ち続けられたのだろう。そのおかげで、自分の未来への希望が消えていくことも考えずに・・・


ダメ男を待ち続けた女の未来

ダメ男(もう彼女への興味を失い、絶対に彼女のもとに戻るつもりもない男)を3年間も待ち続けた蝶々夫人。その結果は、3年の間に、歳をとって、経済的にも苦しくなって、再婚のチャンスも逃がして、挙げ句の果てには、やっとピンカートンに会えるという時に、自ら死ぬという決断をしたというものである。自分の子供がいるのに、現実を突きつけられて生きていく意味をなくしたから自殺という行動を起こした蝶々さんには、共感を持つことができない。男のために自分の未来と、子供への責任を放棄したなんて、同じ女としては情けないとしか言いようがない。


マダム・バタフライから学んだこと

蝶々夫人のように、連絡の取れない男をいつまでも待ち続けてはいけない。なぜなら、彼はあなたのことを、あなたが彼を想っているほど、あなたに情をもう持っていないから。連絡が取れないということは、そういうことだから。

傷つきたくないからといって、現実逃避をしてはいけない。確かに彼が去ったという事実を受け入れるのは辛いが、その傷は絶対に、"いつか晴れた日に"でも癒える。時が経てば、必ず彼への思いは薄くなっていく。

逆にいつまでも彼に執着していると、 本当に現実に引き戻されたときの傷はなかなか癒えない。そして、新しい、今度は本当に運命の人かもしれない男にも出会えない。いつでも彼が戻ってきてもいい状態にしていると、自分の生活が、人生がままならなくなってしまう。

そして最後にーこれが一番重要なことだがーたかが男のために自分の身を滅ぼしてはならない。自分の身を投げ出す相手がそこまでの完璧な男だと信じ込むのは、ただの妄想にすぎない。どんなに彼のことが好きだろうと、彼だって結局、ただの人間である。自分の命を捧げるほどの愛は、自分の子供に捧げるべきであって、男ー特にピンカートンのようなダメ男ーになんかあげてはいけない。

教訓:
もし彼と連絡が繋がらなくなったら・・・
"ある晴れた日に"彼とまた元通りの関係に戻れるなんて期待せずに、
すぐに彼のことは忘れて、
"ある晴れた日に"新しい人に出会うことを楽しみに生きていったほうが良い。絶対に。
 



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