2015/09/24

荒っぽい感じ(?)がカッコいいニムラナ・フォート



Neemrana Fort(ニムラナの要塞)は、インド・ラジャスタン州のニムラナに位置する。

全くもって、外国人一般観光客には有名ではない場所。
で、超オススメの穴場スポットかと問われれば、うーん、そこまででも・・・
もし、フォートの近くに行く機会があれば寄ってみてください、という程度。

とりあえず、ニムラナの位置はコチラとなります↓↓


デリー国際空港から車で約2時間半〜3時間。
デリーの外れの近郊都市グルガオンという場所を通り越して、ジャイプール方面に進み続けると、途中にニムラナがあります。

実はニムラナは、デリー近辺で働く日本人にとっては、そこそこ有名な場所。
というのも、ニムラナには日系企業の工場が集まった、日系工業団地があるから。

ニムラナの唯一の観光スポットが、ニムラナ・フォート。
だから、日系工業団地で働いている日本人は、日本からの出張者がニムラナに来た際には、ニムラナ・フォートに連れて行くらしい。

この要塞は、1464年に建てられ、その後時を経て、ホテルへと変化した。(超ザックリとしすぎな説明。。。)だから、今は宿泊することができる。オススメはしませんが。

わざわざフォートを訪れるためにニムラナに来る価値はない、と私は断言してしまうものの、結構お気に入りの場所ではある。というもの、円形劇場があったり、石造りがなかなか荒っぽくて、かつ、オシャレな感じだったりと、渋めなものが好きな私にとっては、結構ツボなのだ。

撮った写真もなかなか絵になってる感じもするし。
日帰り旅行としては、悪くない。









一冬の恋、ある2月の思い出






1.

『一夏の恋』という表現は、日本だけなのか、それとも、世界共通のものなのかはわからない。一夏の恋というと、一時的に燃え上がる恋、あとに後悔か侘しさが残る、アバンチュールな響きしかない。桑田圭祐がよく歌っているように。

でも、ここインドの殆どの地域では『一夏の恋』なんてあり得ない。だって、夏は気温が平気に40度越えになるから、恋どころか、何もかもする気が起きなくなる。だから、インドで恋をするのであれば、秋から冬にかけての時期だ。南の地域だと冬らしき冬は存在しないが(つまり、一年中恋なんてできない、のかも)、少なくとも私の住むデリーあたりは、10月中旬あたりから秋っぽくなり始め、徐々に涼しく、寒くなっていき、冬は冬らしくなる。気温も下がり、外をほっつき歩きやすくなるから、自然と出会いも多くなる、ということで、恋に落ちやすくなるのだ。

実際に私が彼に想いを寄せたのは、冬の時期だった。

そして、"一冬"の恋— 一夏の恋と同じように、ほろ苦い結末を迎える、でも後悔はない、恋— を経験することとなった。


2.

多分彼に最初に会ったのは、まだ私もインドに来て間もない頃で、夏もまだまだ終わりそうもない頃だった。 仕事の関係で会ったのだが、仕事も慣れずに緊張していた私は、全く彼の存在を気に留めることはなかった。

次に彼に会ったのは、仕事関係ではない、とある飲み会の場で。インドでは違う会社の人たちが集まって飲み会を開くことが多い。その飲み会も毎月開かれるが、主な趣旨は「インドでの孤独死を防ぐために、月一で皆と顔を合わせること」である。ただし実際は、お酒の大量摂取で誰かが死んでしまうのではないかと、心配してしまうような飲み会だった。

私は相当人見知りなのだが、そのせいか、すぐに自分に取って害がない人を嗅ぎ付けて、その人とだけは比較的すぐに打ち解ける傾向にある。そんな性格だからか、一目惚れもしやすい。と言っても、相手が男の場合は、大抵の場合、自分の判断が間違っていることが多いのだが。

今回も、私は彼に一目惚れした。ビジネスとは関係のない飲み会の場だから、緊張せずに話すことができた。彼の何に惹かれたのか、決定的なことはわからない。でも、誰にでもオープンで、豪快で、自由な人柄と、私からしてみれば憧れの経験を持っているという事実に興味を持った。彼との話はとても楽しかったし、彼も私に好意を持ってくれている、なんて会ったばかりだから好意もへったくれもないのに、勘違いした。

だから、もっと彼のことを知りたいと思った。とりあえず、最初のステップとして、飲み会から帰ってきたあとに、Facebookで友達申請を送る。

承認された後、すぐに気づいた。

彼は既婚者だったということ。
そして子供がいること。

どの写真からも家族の仲の良さが滲み出ていて、素敵だった。

その瞬間、意外と私は冷静で良識ある行動を取った。人生の中でまともな恋などしたことがなく、周りの常識など気にせずに行動をとることが私は残念ながら頻繁にあるのだが、この時ばかりは、非常に思慮深い判断をした。

既婚者には興味ない、と。

一目惚れだったとは言え、やっぱり彼のことを一瞬でも好きになったから、一瞬だけでも傷ついた。勝手に失恋した気分になった。

それでもやっぱり、既婚者には興味がなかった。

だから、彼のFacebookの写真から垣間みられる彼の今までの経験に対する憧れは消えはしなかったが、彼に抱いた想いはすぐに忘れようと決めた。


3.

そして、彼と会わない日も、彼との間に何もない日も、彼のことを思い出さない日も続き、インドの暑すぎる夏もようやく収まろうとし、私はトルコ旅行中にトルコ人とアバンチュールを楽しみ、インドではインド人に見た目だけで一目惚れをし、幼稚な恋愛感情を持て余し、失恋とは全く言い難い痛い経験をした。こう書くと相当な月日が流れた、という感じだが、実際は1ヶ月ちょっとの間の話である。

インド人男とのデートなんて二度とごめんだと思った矢先、年の終わりに彼と以降頻繁に会うきっかけとなった出来事があった。彼と会う機会が増えたのだが、やっぱり恋愛感情とは関係無しに、彼のことは好きだった。 彼の人との接し方も、今まで自由に誠実に生きてきた経験が滲み出た見た目も、話し方も、匂いも好きだった。

それに、今回ははっきりと分かった。彼も私に対して好意的な感情を持ってくれていると。別に不倫をしたいとかそんなドロドロのものではなく、ただ単に私のことが好きなのだと。

だから、「ただ単にお互いに好き」ということで、別に何の問題もないとは思ったけれども、それでも彼がどこかで酔っぱらった時に私によこしてきた、酔っぱらった感じのメッセージにはぞっとした。別に卑猥なメッセージでも、何かをほのめかしたメッセージでも何でもない内容だったのだが、それでも彼の家族に対して悪いことをしているのではないかと不安になった。だから彼のメッセージをその日は無視した。

彼のことを好きな気持ちは、それはもう恋愛感情ではないのだから、そのまま持っていても良いと思ったが、それと同時にあまり彼と仲良くなりすぎてはいけないと、頭の片隅に書き留めた。


4.

だからかは分からないが、私はまた違う人に恋をした。今回はインド人ではなく、独身の日本人に。今回こそは、きっと上手く行くだろうと思った。だって、その人のことは一目惚れで好きになったわけではなく、徐々に好きになったから。それに、その人も私のことが好きなのだろうと思った。だって、毎日連絡を取っていたし、私の誕生日とクリスマスの日にも会って一緒に過ごしてくれたし、2人での日帰り旅行に誘ったらついてきてくれたから。特に毎日メッセージが来るということは、私の今までの幼稚な恋愛経験に基づくと、相当私のことが好きだという意思表明だと思った。

私はもうその人のことを恋愛対象として好きなのだから、彼と別のところで、友達の一人として会うことは何の問題はない。ある出来事を機に、彼はよく私をホームパーティーに誘ってくれた。主催者は彼ではなく、彼の知り合いであることが多かった。毎週彼は誰かのホームパーティーに私を誘ってくれ、結果私は毎週彼と会っていた。

それと平行して、私が今恋愛対象を持っている人と連絡を取ったり、数回会ったりしていたのだが、徐々に気づいてきた。徐々に疑問が生じてきた。 私はその人の恋愛対象ではないのではないかと。ただ単に体目的か、よくわからないけれども、キープの対象なのではないかと。

その人の小さい言動—基本的に優しいけれども、私が試してみたいことでも、その人がやりたくないことなら、上手いこと言って回避するとか、口だけで行動に移してくれないとか、私をその人の友達の集まりとかイベントがあっても呼んでくれないとか、日本人のくせにボディタッチをしてくるとか—そんな小さい言動だけれども・・・彼だったら、私にそんな態度をとらない。

彼はいつも私を色んなところに誘ってくれるし、色んな彼の知り合いに紹介してくれる。そんな彼と比べたら・・・あの人は私のことを大切にしてくれていないのだと感じた。そしてその疑問は本当だったと、私は現実を受け入れなければいけなくなった。


5.

その人と日帰り旅行から帰ってきて、彼に誘われたホームパーティーに向かうまで少し時間があったので、その人の家で少し時間を潰すことにした。その日帰り旅行中に、彼に対する疑問が少し生じたものの、その時はまだ、私の勘違いだろうと信じ込んだ。その人の家に行ったのも、その人は私のことが好きなはずだから、きっと今日何か言ってくれるのだろうと期待していたし、まぁ、私もその人に惹かれているからキスぐらいしてもいいかな、なんて思ったからである。

実際、キスはした。服はお互いに脱いでないけれども、キス以上のこともした。でも、その人は私に何も言ってくれなかった。私が「何も『つき合う』とかそういうことを言わずに、こんなことをすると、大抵関係が1回で終わってしまう。日本では、『つき合う』と決める前にこういうことをするのは遊びだと皆が言っている」と伝えても、「好きだ」なんてことを言ってくれなかった。代わりにその人が言ったこと。「これで最後ではないし、もしそういうものだとしても、大体関係は1回だけでは終わらない」と。その時は何を言われているのか理解できなくて、多分、この人は次回私に想いを伝えてくれるのだろうと都合のよい解釈をした。

でも、その人が言ったことは、そのままの意味だった。私はどうやら、とても正直すぎる、不誠実なことをその人に言われていたらしい。らしいっていうか、今考えれば、どう考えても不誠実で酷いことを言われていたのに、どうして私はいつもその場で目が覚めないのだろうか。本当にバカだ。


6.

私たちは違う日に最後まで試してみたのだが、結局、最後の最後まで、その人は私に好きとは言ってはくれなかった。つまり、そういうことだった。その人はただ遊びたいだけだった。

その後もなぜかメッセージのやり取りをその人とは続けているが、一度私が会おうかと誘い断られた後は、私からも何も誘わず、もちろんその人も何も誘わず、ただ単に自分がどこを旅行しただとか、誰と会っていたなのかを報告され、私はいつこのやり取りが終わるのかと様子を見ているのである。連絡が途切れないということは、好きだということだという私の中の仮定は見事に破られた。

結局のところ、有言実行が大事。態度で誠意を示してくれる人が、恋に落ちるべき相手なのだ。当たり前のことなのに、どうして気づくのにこんなに時間がかかるのだろうか。

その人との宙ぶらりんの関係を彼に話したことも、相談したこともないが、彼は薄々気がついていたらしい。「もし私があの人とつき合っているのであれば、今後はその人も一緒に誘うようにする」と。残念ながらそういう関係ではないので、「そこまでの関係ではないし、あの人も忙しいみたいなので」と言うしかなかった。もし彼に相談したら絶対に私の味方になってくれるだろうが、何だかそういう恋愛の話をするような仲では私たちはなかった。それに、その人との関係を話したら、彼とはもう頻繁に会えなくなるのではないのかと心配だった。


7.

また一つ、くだらない恋に破れ落胆する日々の中、インドの冬は和らぎ、まだ2月のくせに気温は暖かくなっていき、私たち海外に位置する日系企業で働くサラリーマン・サラリーウーマンにとって大事な時期がやってくる。

2月の終わりから3月にかけて、ボチボチと人事異動の発表がされる。それに伴い、私たちは、誰が日本に帰任し、誰がそのまま違う国に移動し、誰がインド国内で異動し、誰が留まるのか分かるのだ。

もしインドで働いている日本人駐在員男性が、日本帰国の指令を受けたのであれば、95%の確率で安堵の表情を浮かべることになるだろう。なぜなら、インドで働くサラリーマンの95%くらいの人たちは、早く日本帰国、少なくともインド任期終了を目指してインドで働いているから。

独身でインド生活をまっとうした人たちは、これがチャンスとなるだろう。日本に帰れば、若返るはずだから。そして、出会いも増えるだろうから。

単身赴任のお父さんは、帰任になればもちろん喜ぶだろう。家族のもとに戻れるのだから。

家族と一緒に来ている人たちは、それはもう、家族ぐるみで喜ぶだろう。もうこれ以上、PM2.5だとか、衛生問題だとか、交通問題とかに悩まされる必要はなくなるのだから。ドライバー付き車の生活から解放され、自分で好きなところに歩いて行ける。子供たちも外で遊ぶことができる。もし日本に戻れるならば、もっと自由な行動ができる。

そして、日本から新しい人がインドにやってくる時期でもある。

未だ独身なのに会社の都合でインドに異動を言い渡させられる可哀想すぎる駐在員(to be)。

単身赴任でやってくる男性。家族なしで大変だと言いながらも、ささやかな自由を手に入れられる。ここインドでの自由は限られていたとしても。

単身赴任のお父さんを追いかけて、区切りの良い時期にやってくる家族。

などなど。

私はここ1ヶ月この件についてソワソワしていた。もし、私の会社の頼れる上司2人が帰任になってしまったらどうしようか、と。そして、もし彼がインド国内異動になってしまったらどうしようか、と。家族同伴できていた上司2人は、仕事だけではなく、プライベートでもホームパーティーに時々呼んでくれたりとお世話になっている。まだまだインドでの経験が浅い私にとっては、いてくれないと困る人たちだ。そして彼のほうは・・・もともと家族が来るかどうかが議題だったところ、それ以前に国内異動になるかどうかという議題が挙った。彼の存在が私の日常生活で当たり前のものになっている今、彼がいなくなることは私にとっての非常事態であった。

私の上司2人は帰任することが決まり、これについては私は頭を悩ますしかない。仕事の観点から言っても、新しい人が私の上司になっても当分頼りにならないだろうから、とても困る。誰に助けを求めれば良いのかわからない。

まだ幸いだったのは、彼がインド国内異動をしないと分かったことである。


8.

彼にとって良いニュースは、家族がもうすぐインドにやってくることだ。一番正しいシナリオだ。

私は・・・彼にとって本当に良かったと思っている。特に、仲がすごく良い家族ならば、場所がどこであろうと一緒にいるのが一番だから。だからそれ以外に、何も言ってはいけないし、思ってはいけないのだと思う。

家族が来たら、もちろん家族との時間を優先するから、ホームパーティーに参加なんて頻繁にできなくなる。もう彼とは毎週末に会うことなんてないだろうし、連絡も取らなくなるだろう。きっと私は平気だろう。

そのうち彼の家族に会う機会があるだろう。家族の絆と愛情を見ることだろう。でも、きっと私は嫉妬しないだろう。

でも、 どうしても、どうしても、思わずにいられないことがある。私だけ、取り残されている、帰る場所なんてない、と。

単身赴任のお父さんたちが家族を迎えるにあたって、子供の学校入学の手続きをしたり、日本から届いた家族の荷物の段ボールが家に置いてあったりするのを目にする。その段ボールを見た時、涙が勝手にこぼれ落ちてきた。

待っていてくれる、心配してくれる、大事に思ってくれる家族がどこかにいる。どこにでもついてきてくれる家族がいる。家に帰っても、一人ではない。

私にも、そんな家族を見つけられるのかしら?

自分では気づいてなかった大きく空いた穴に気づかされて、もともと持ってなんかいない大切なものを失った気分になる。


9.

彼は私に言う。「良い人を見つけないとなあ」と。良い人と恋に落ちて、良い旦那さんを見つけないと、と。全くもってその通りである。そろそろちゃんとした恋をしないといけない。

でも、私にできるのかしら?

周りとの距離を保って、周りに干渉しないで、自分の自由を確保してきた私が、孤高で自由な精神を持ちながらも、周りに対して寛容さと責任を持つ彼みたいになれるのかしら?彼は良い具体例を見せてくれたけれども、私はそうなる方法を学んでいない。

ちゃんとした恋ができるか? 私は自分に対してYESと答えたい。

多分、私はこれからも、同じ過ちを繰り返すだろう。

多分、当分私は一人孤独になるだろう。

でも、私は少しずつでも学んでいるし、彼との出会いで、まずは大きな一歩、真面目な恋をしなければいけない、と学んだ。


10.

誰になんと言われても、私は本当に彼のことが好きだったし、彼も私のことが本当に好きだった。私たちはこのことについて何も話したこともなければ、行動に移したこともない。何も話すことも、行動に移すことも必要なかったから。

きっと、これを恋と呼ぶことは間違っているのかもしれない。 誰にも責められずに済むためにも、これをただ単に友情と呼ぶか、もしくは私の一方的な常軌を逸した妄想と呼ぶべきなのかもしれない。でも、それは違う。

もしこれが本当の恋ではないのであれば、せめて、ある冬に起きた、ほろ苦い一冬の思い出、一冬の恋と名付けたい。一気に熱して冷めた後に後悔が残る一夏の恋ではなく、一冬の恋は、とても静かで、自然に消え去り、教訓のひと欠片だけがうっすらと残るものであると。


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この文章を書いたのは今年の2月の終わり。

あれからいつの間にか夏になり、雨期が訪れ、再び夏に戻り、暑苦しい日々が続いた。

そして、ようやく夜に涼しくなってきて、つかぬ間の秋と、その後に訪れる冬はもうすぐやって来るのだろうと感じる。

そう、去年みたいに。

この半年間、意外にも、時期外れの日本帰任となった人たちもいた。
ある人は去り、新たな人がやってくる。
来ては去る人たちを眺める私は、ここインドに留まったまま。
「次は私も、きっと・・・」と思いながら。

この半年間、私はやっぱり未だに同じ過ちを繰り返し、一人孤独に過ごしている。
まるで、学んだ教訓をすっかりと忘れてしまったように。
あるいは、学んだ教訓なんて、本当はただの勘違いだったと嘲笑うように。

それでも、夜中にバルコニーで冷たい風を受けていると、あの冬の日々を思い出さずにはいられない。


分かってる。私は恋をしなきゃいけない。


【"I Need To Be In Love" by Carpenters】







2015/09/14

『ティファニーで朝食を』の弾き語りシーンに憧れて




私の階の踊り場から下を見下ろすと、こんな風に寝てるブタちゃんを見かけることがあります。

私の今住むインドのお家は3階建ての一軒家だ。

フロア全体で1つの家庭の部屋となっていて、1階に大家さん、2階に私が住んでいた。3階は、私が住み始めてから数ヶ月間、空き家となっていたが、数日前、日本人男性が引越してきた。

兼ねてより、どうせ誰かが上の階に引越してくるなら日本人のほうがいいと思っていたため、日本人がやって来て、良かった。

そして、新住居人が男性だと知った私は、ちょっとだけワクワクしていたのである。

というのは、オードリー・ヘップバーンの映画『ティファニーで朝食を』の有名なシーンを再現できるのではないか、なんて妄想をしていたから。

有名なシーンとはもちろん、オードリーが自分の部屋の窓際で『ムーン・リバー』を歌っているところ、オードリーの上の階に住んでいるハンサムなアメリカ人男性が(後にオードリーと結ばれる)それを聞きつけて、オードリーに声をかける、というロマンチックなシーン。

【クリップシーン】オードリーの弾き語り『ムーン・リバー』



私が今住んでいる場所はインドで、映画の舞台ニューヨークみたいに煌びやかな場所ではないけれども、緑豊かな一画に位置しており、まあまあ、ロマンチックと言えなくもないのだ。

そして、家のドアの前が踊り場スペースとなっていて、私がもし踊り場スペースに腰掛けて弾き語りをすれば、上の階にいる人が、自分の踊り場から見下ろして、私を見つけることができるような設計となっているのだ。

とは言っても、私はギターを持っていなければ、弾き方も知らないのだが。

ギターの弾き語りではなくても、映画のシーンのようなご近所さん付き合いみたいなものができるのではないかと、思っていたのだ。

ああ、それなのに。
どうして現実はこうも上手くいかないのでしょう。
現実に起こったのは、こういうことです。

数日前に、男性が私の上の階に引越してきました。そして、昨夜、夜中12時過ぎに、その男性は私の部屋の階に降りてきて、ドアの向こうから「すみません」と声をかけてきました。私の部屋の明かりがついているのがわかったからです。私は「こんな夜中に何の用だ」とちょっとイラっとしながらも(もうこの時点でロマンチックではない)、ドアを開けました。すると、彼は私にこう言いました。

「今風呂場の水が全く使えなくて、大家さんに電話しても、もう寝ているのか、電話に出ないんです。シャワーを貸してもらえますか?」

・・・・・・・・・・・・・えーっとねぇ・・・・・・・・・・・

「それは無理です。」

無理に決まってるよね。今何時だと思ってるの。大家さん寝てるの、当たり前だよ!私はまだ起きてるけど、こんな夜中に、見ず知らずの男に風呂場なんて貸したくないよ!そもそも、シャワーを浴びることって、

「急ぎの用事ですか?」

「急ぎではないですけど、寝る前にシャワー浴びたいな、って・・・」と答える男性。

シャワーくらい、1日くらい我慢してよ、ここはインドだから水が止まることだってあるんだよ!と言いたいけれども、私は言わない。なぜなら、私はとってもお人好しだから。

シャワーを浴びたがっている彼に、私は20リットルのボトル・ウォーターをあげ、「これ使っていいですよ」と言うのである。

20リットルの水を持って階段を上がるのは大変だろうが、そんなこと、私には関係ない。

ドアを閉め、自分のベッドに寝転がり、オードリーの弾き語りのシーンをYouTubeで見る。

あーあ、何か本当に残念だったなぁ。何かいいこと、どこか別の場所で、起こってくれないかなぁ。

もし何も良いことが起こらないのであれば、少なくとも、もう上の階の住人が夜中に私を煩わせてきませんように。私をこれ以上ガッカリさせませんように 、と願うばかりである。




2015/09/13

大人の恋は色々?『ニューヨーク恋物語』



1988年に放送されたトレンディードラマ『ニューヨーク恋物語』。

私が生まれる数年前のドラマだけど、舞台がニューヨークということで、すごく気になってたドラマ。

DVD化されていないから、ずーっと観ることができなかったけれども、YouTubeで誰かがアップしていたので、遂に観ることができた。いつ動画が消されるか怖いから、2日間で全11話を一気に観てしまった・・・

で、観終わった私の感想。


えーっと、えっと、一言で言うと・・・・



すごい!! こんなドラマ、あったんだ!!    って感じ。

 

全然ストーリーも出演者も知らないで(田村正和が出てるのは知ってたけど)観始めたけど、まさか、こんなに大人が、大人らしく、大人な恋をするドラマだなんて想像していなかった。

ドラマのタイトルが『ニューヨーク恋物語』だから、ロマンチックでハッピーエンドな恋愛ドラマなのかなー、って思ってたら全然違った。

ロマンチックかもしれないけど、好きな人同士が結ばれるハッピーエンドなストーリーでは全くない。

ま あ、確かに、恋愛は必ずしも上手くいくものではないけど、でもドラマとか映画では普通、ハッピーエンドが基本でしょ?少なくとも、主人公の恋はハッピーに 終わるでしょ??しかも、"トレンディードラマ"って、ヒップでポップな感じなイメージだから、ハッピーエンドな感じじゃないの?

(↑何しろ、私はトレンディードラマ世代の人ではないので、トレンディードラマがどういうのかよく分かっていません。ご了承ください。。)

というわけで、観ている最中に、私の頭の中で何度も?マークが浮かんだ。

このドラマ、一筋縄ではいかなくて、見事に私の予想を何度も何度も裏切ってくれた。

例えば、「このドラマの主人公はこの人なんだろうなー」って見始めた時に思ってたら、最終的には違かったり、「この人はこの人と恋に落ちる展開になるんだろうなー」って予想してたら、全く違かったり。

うーん、やっぱり自分と違う世代のドラマのストーリー展開を把握するのは難しい。。

ストーリーを要約するには、あまりにも登場人物同士の人間関係・恋愛関係が常に変化して、訳が分からなくなるほどなので、代わりに登場人物を紹介します。(登場人物の紹介は簡単。だって、8人しか出てこないから。)


【登場人物紹介(左から順)】

① リツ子:田村正和演じる田島(⑤)の元恋人&元不倫相手。ニューヨークで田島に再会し、昔の頃を思い出す。今でも田島のことが好きで、一緒になりたいと思 うものの、最終的には田島を忘れることを選ぶ。さやか(②)の母親。「母親になっても女でいたい」という、ちょっとパリ人っぽい考え方をする女性。

②さやか:コロンビア大学に通う学生。田島にケチャップをかけられたことがきっかけで出会い、ちょっと恋に落ちる。ものの、田島の元恋人が自分の母親(①)で、田島のせいで母親が傷ついていたことを知り、興味はすぐに失う。心が真っすぐな、良い子。

③坂入さん:NYの幼稚園の先生。里美(⑥)のことが好きだけれども、最終的には上手くいかない。優しいだけが取り柄の、故にその優しさで人を傷つけるダメ男。

④ 明子:説教大好き、気性が激しい、相当ぶっ飛んでる女性。里美(⑥)を頼りにNYにやって来る。なぜか田島のことが好きになり、なりふり構わず、田島につ くす。ものの、最後には、いつまでたっても片思いでしかならないと、田島から離れることを決める。このドラマの主人公。

⑤田島:ちょいワルを通り越して、ちょー悪なダメ男。なのに、女性登場人物5人のうち4人を惹き付けてしまう、イタリア男もビックリの色男。このドラマの主人公。自分で「俺に近づくな」と言っているように、深入りすると、明子(④)のようになります。

⑥ 里美:証券会社でアシスタントとして働く、キャリア志向の強い女性。トレーダーとなるために、コネを持つ男性と関係を持ち、這い上がって成功を収める。坂入さん(③)のことが本当は好きだが、自分のキャリアは捨てられないと、坂入さんを諦める。一番現代女性っぽい。

⑦小池:特に夢もなくNYにやって来て、どんな仕事をしても長続きしないダメ男。美姫(⑧)のことが好き。

⑧ 美姫:里美(⑥)のルームメイト。田島に一目惚れをし、関係を持つものの、自分を愛してはくれないと気づき、別れる。小池(⑦)のことは好きではないが、ダメっぷりが可哀想でつき合い始める。小池を捨てようと思うものの、最終的には小池との結婚を決意。


こんな感じだけど、私の人物紹介を見ると、男性陣の紹介の仕方が酷いかも・・・

でも、そう、このドラマって、女性が成長するストーリーがメインなのではないか、って感じる。私が女性だから、そういう風に見えるのかもしれないけれども。。

田 島を好きになってしまった女性たちは、みんな、辛い恋を経験して成長している。例えば、さやか(②)は、ママが昔、田島と不倫してて傷つけられても、未だ にママが田島のことが好きだということが理解できなくて、「そんなの恋じゃない!」と、ママと田島に反発する。(私も、「そんなの恋じゃない!」って同じ ように思った!)でも、田島の気持ちや、ママと田島の関係を知るにつれて、ママの気持ちを理解し、「色んな恋があるのね」と言えるようになるまで大人にな る。(私も、「色んな恋があるのね」って納得し始めた!・・・いいのかな??)

明子(④)も、田島に片思いして、そ の思いをめいいっぱいぶつけたことで、大人の女性に成長したみたい。したみたい、というのは、私には明子の気持ちとか行動とかがよくわからなかったから。 でも、最後に明子が田島に「あなたに会えて良かった。NYに来て良かった」って言った時、明子成長したなー!って感動した。それに、明子がNYに来た時は 一人で外を歩けなかったのに、徐々にバスの乗り方とかも分かり、仕舞いには街を颯爽と歩けるようになる姿を見れたのは嬉しい。

だから、このドラマは主に女性向けのドラマだと思う。

そして、大人のドラマでもあると思う。

当 時のNYの街は、茶色っぽくて(多分、当時のカメラの画質の問題かも)、けだるい感じ。登場人物たちは、夢を追ってるだけではなく、夢が破れても希望を持 ち続けようとしてる。そして、彼らは年齢的には若くなく、若作りしようともせず、ほろ苦い大人の恋をしてる。台詞のやり取りも、ヨーロッパ人みたいだっ た。

こんなドラマ、私、2000年代で観たことない!!!

当時の若者たちは、相当、"大人の恋"っていうものに、憧れていたのかなー?
けだるくて、ほろ苦い恋が、トレンディーだったのかしら??

でも、そういうのに憧れるのも、なんとなくわかる。

だって、田村正和が、すっごく格好良かったもの!古畑任三郎とは違うのね。

実は、この田村正和を観て、あるアメリカ人俳優を思い出した。

それは・・・


ミッキー・ローク。

ただのミッキー・ロークではなくて、映画『ナインハーフ(9½ Weeks)』に登場するミッキー・ローク。

この映画でミッキー・ロークが演じる役どころも、『ニューヨーク恋物語』の田島みたいにダメ男で、最終的に女性に愛想をつかされるのだが、田村正和同様、非常にチャーミングでセクシー。

よ く考えると、この映画も気怠い感じのNYを舞台にした大人向け恋愛映画。女性がダメ男を捨てるので、ハッピーエンドではないから、『ニューヨーク恋物語』 と少し似てる。1986年に公開された映画だから、『ニューヨーク恋物語』も、もしかしたら少しだけ『ナインハーフ』に影響を受けてるかも!? 




主人公の女性を演じるキム・ベイシンガーもすっごく格好良くて、憧れ♡

こういう気怠い、影があるようなドラマや映画って、その時代を反映しているのかなと思う。今のNYは、あまり暗いイメージがない。すっごく青く澄んでいて、オープンな感じ。

NYで生きていくのは、今でもすごく大変そうだけど。

もし日本のテレビ局がNYで新しくドラマを作りましょうとなったら、きっと『ニューヨーク恋物語』とは全然違う雰囲気のものになるに違いない。

観てみたい気もしないでもない。


追伸
もし影があるような海外ロケでドラマを撮影したかったら、ぜひ、インド・ニューデリーを選んでください。今ならまだ、茶色っぽくて、ちょっと危ない雰囲気もあって、かつ日本人もたくさん住んでいる場所なので、なかなかホットです。




シャワーと、オペラと、フレディーと





オードリー・ヘップバーン主演の映画『ローマの休日』に続いて、私が好きなローマを舞台にした映画は、ウッディ・アレン監督の『ローマでアモーレ』。

『ローマでアモーレ("To Rome with Love")』は、ローマに住んでいる人たちと、旅行に来た人たちの人間模様を描く、(ロマンティック)コメディー。日本の映画館で、上映中に観客の笑い声が聞こえていたのが、今でも記憶にあります。日本人を声が出るほど笑わせてしまうくらいの、痛快なコメディー。

ここでは、特に笑いを多いに提供してくれる2人の登場人物—ジェリーとジャンカルロ—と爆笑シーンについて紹介します。

奇抜過ぎる演出で評論家と世間に干されたアメリカ人のオペラ舞台演出家、ジェリー(演:ウッディ・アレン)は、 ローマに旅行に行った娘がイタリア男と電撃結婚をするということで、妻とともにローマにやってくる。そして、娘の婿となるイタリア男の家に訪問した際に、その父親で葬儀屋のジャンカルロ(演:ファビオ・アルミリアート)に出会う。

ジャンカルロは「ちょっとシャワーを浴びてくる」と風呂場に向かう。すると、オペラを歌う素晴らしい歌声が聞こえてくることにジェリーは気づく。ジャンカルロが、シャワーを浴びながら歌っているのだ。ジェリーは衝撃を受け、新たな夢を抱く。ジャンカルロ主演のオペラを演出するぞ、と。

【クリッププシーン】シャワー越しの歌声に胸打たれるオペラ演出家



一緒にオペラ界で一花咲かそうと、乗り気ではないジャンカルロを説得し、オーディションを受けさせたジェリー。だが、審査員の前でのパフォーマンスは散々なものであり、ジャンカルロもジェリーも落ち込む。なぜ、あんなに素晴らしい歌声だったのに…とジェリーが残念がるところ、周囲は「シャワーを浴びながら歌っている時は、誰だって歌がうまくなるもんよ」とあしらう。

「ああ、そうか。確かに、僕もシャワーを浴びている時は、歌がうまくなる気がする…」と納得するジェリー。しかし、それでは終わらなかった。

ジャンカルロにシャワーを浴びながら、歌ってもらえばいいんだ!と、"シャワーオペラ"の計画を立てる。

ジェリーに乗せられて、観客が集まったミニコンサートで歌うこととなったジャンカルロ。舞台には、透明ガラスのシャワー室が運ばれ、タオルを腰に巻いたジャンカルロが登場。そして彼はタオルを外し、体を洗いながら、熱唱する。大事な部分はちゃんとガラスが白く塗られているので隠れている。最初は怪訝に思う観客も、彼の(シャワー越しでの)歌声に感動し、拍手喝采となった。

【クリップシーン】観客の前でシャワーを浴びながら熱唱する全裸の男


((ちゃっかり真面目に聴き入る観客の姿にも笑えてしまう!))

調子に乗ったジェリーは、ジャンカルロを主演としたオペラ『道化師』(ルッジェーロ・レオンカヴァッロ作曲)を演出し、歌劇場で公演。周りの役者たちが 普通に演じる中、ジャンカルロはシャワーを浴びながら歌い、演じるという奇妙過ぎる演出で、ジェリーはローマの評論家からも酷評される。一方のジャンカルロは評論家から大絶賛を受けた。。。

【クリップシーン】シャワーオペラのクライマックス!



というもの。

由緒正しきオペラを、全裸の男性を使って、ここまで面白おかしく仕上げたウッディ・アレンに脱帽。ほぼ、ブラック・ジョークに近いが・・・

さて、実際のオペラ『道化師(I Pagliacci)』とはどういうストーリーなのかというと、他のオペラの例に漏れず、ドッロドロの憎愛劇となっています。

とあるイタリアの村にやってきた旅芝居一座。その中には、座長であり、劇で道化師を演じる予定のカニオ、座長の妻であり劇中でも道化師の妻を演じるネッダ、ネッダに密かに恋する醜男で、道化師の召使いを演じるトニオという者がいた。ネッダはカニオに飽き飽きしており、村にやってくるごとに逢い引きを重ねていた愛人シルヴィオと遂に駆け落ちをする約束をした。ネッダに愛の告白するも振られたトニオは、腹いせにカニオに告げ口をする。妻が駆け落ちをしようとしていると知ったカニオは、「愛人の名前を言え」とネッダに迫る。拒むネッダ。仕事なんてしていられる状況ではないが、もう芝居の開始時刻は迫っている。カニオは役者として、"道化師"を演じねばならない。道化の衣装をつけ、泣きながら顔に白粉を塗り、支度をするカニオ。

劇が始まり、道化を演じるカニオは舞台の世界と現実の世界の区別がつかなくなってきた。なぜなら、劇中でも、先ほど起こったことと同じシチュエーションが繰り広げられ、道化師演じるカニオは、道化師の妻演じるネッダに「愛人の名前を言え」と迫っているからだ。演技に自然と熱に入るカニオは、ついに途中で道化師としてではなく、カニオ自身として激怒する。観客はカニオの心情にはもちろん気づかず、迫真の演技だと感心する。しかし、カニオの暴走は止まらず、ついにネッダを観客の前で刺し殺してしまう。そして、観客の中に隠れていたネッダの愛人が飛び出してきたところ、愛人も殺害する。動揺する観客を前にカニオはこう締めくくる。「喜劇はこれで、終わりです。」

と、劇中2人も死んでしまう、悲劇的なストーリー。何で人を殺しておいて、締めの言葉が 「喜劇はこれで、終わりです」なのか?というと、もともとは、カニオ演じる道化師が、妻の愛人を突き止めて懲らしめて終わり、という流れになるはずだったから。

このオペラ『道化師』のストーリーを踏まえた上で、映画『ローマでアモーレ』内で繰り広げられるシャワーオペラの演出を考えると、全く持って悲劇を喜劇に変えてしまった、と言ってもいいけれども、ある意味、オペラの核心をついているのではないか?とも考えられるのです。

というのも、 オペラというものは、ストーリーがどんなものであれ、必ずコメディーの要素が入っているのではないかと思うのです。とことん大げさに、非現実さを誇張することによって、第三者である観客に少し滑稽に映るようにしているのではないか、と。 劇中で起こっていることは、所詮他人事であり、ある観客にとっては、笑えてしまう喜劇として捉えられることもあるのではないか。だって、実際に、色々ツッコミたくなるところ、たくさんあるもの。

ウッディ・アレンによって見事コメディーと化けたオペラ『道化師』の中での有名なアリアは、妻に裏切られたカニオが、「それでも舞台に立って、観客を笑わせねばならない」と歌う『衣装をつけろ(Vesti la giubba)』。3大テノール歌手の一人、ルチアーノ・パヴァロッティによる歌が有名。

【動画】ルチアーノ・パヴァロッティによる『衣装をつけろ』(一般バージョン)



((この映像だけ観ると、すごく泣けてくる・・・・))

実は、この曲『衣装をつけろ』の最後の部分が、ロックバンド、クイーンのある曲に使われているのです。

それは・・・"It's a Hard Life"という曲。

【ミュージックビデオ】Queen "It's a Hard Life"


冒頭の"I don't want my freedom. There's no reason for living with a broken heart.(自分の自由なんて欲しくない。傷ついた心を抱えて生きていく理由なんてないさ。)" という部分が、オペラの最後の部分と全く同じです。

ちなみに同じメロディーの部分でオペラでは、"Ah, ridi, Pagliaccio, sul tuo amore infranto.(笑え、道化師よ。お前の愛の終焉に。)"と歌われています。

"It's a Hard Life"の作詞作曲は、フレディー・マーキュリー。"Bohemian Rhapsody"とかクラシック要素のある、ロックでポップな曲を生み出すフレディーは、クラシック好きが高じてか、遂にオペラのメロディーを使っちゃいました。

ミュージックビデオも、元ネタを尊重して(?)か、仮面舞踏会にて、フレディーが"フレディー劇"を繰り広げます。衣装も舞台も演出も全てがやり過ぎで、奇妙で、ちょっと悪趣味・・・なミュージックビデオは、間違いなくフレディーのアイディアだろうな。やり過ぎ感が前面に出ていて、おかしくて笑ってしまう。(そして、安定感のあるコミカルな動きを披露してくれるフレディーにも、いつも通り笑ってしまう。)

オペラってつまらなさそう、曲調も眠くなりそう・・・と敬遠する人もいるかもしれないけれど、オペラって、もっと観てて聴いてて、楽しいもの。劇中の役者たちが大真面目に演じていても、ツッコミ場所があれば、勝手に笑い飛ばせばいい。そうやって楽しむのが—少なくとも、現代においては—オペラ鑑賞の楽しみ方ではないのかな、なんて思います。

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イタリア男の実態(R指定)

誰も寝てはならぬ。





プッチーニ作オペラ『トーゥランドット』の有名なアリア『誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma)』は、夜に聴くべき曲だ。

それと同時に、あまり夜に聴かないほうがいいかもしれない曲である。
なぜなら、「誰も眠ってはいけない。あなたもだ、姫君よ」と歌っているから。
そして、力強くて感動的な曲調が気分を高揚させてしまって、眠気がとれてしまうから。

それでも、時々、無性に聴きたくなる、聴かざるおえなくなる、もしくはどこからともなく聞こえてくる夜がある。

例えば、「今日、運命の人に出会えたかもしれない」と、早くその人に次会えることを楽しみに待ち構えるあの夜。

例えば、仕事帰りに遅く帰ってきて、一人、静かな部屋にポツンとなり、ふとした虚しさと寂しさを感じるあの夜。

例えば、 誰かに恋をするような心なんて持っていないと思われた友人から、本気で誰かに恋に落ちたことを知らされ、彼の幸運を願った、あの日の夜。

そして、その恋が叶わなかったと後に知った、あの日の夜。

そんなノスタルジックな雰囲気の夜に、この曲では
「夜よ早く消え去れ! 星よ早く隠れてしまえ! 夜明けには、私は勝つ!」
と歌われる。

"死"という影がちらついていながらも、最後には、それに打ち勝つ力強い言葉で締めくくられる。

"夜明けには、私は勝つ。"

そう信じさせてほしい夜。信じ続けたい夜。
愛と希望は、必ずあると、最後には勝つと、確かにしたい夜。

この曲は、きっとあなたを勇気づけてくれる。

【マリオ・デル・モナコが歌う"Nessun Dorma"】


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