2016/01/13

25日に25歳になって変わったこと




先月の25日に、25歳になった。

記念すべき、25日の25歳は、もう2度と訪れない。
そして、そんな記念すべき日は、インドで過ごした。

今までの誕生日のように憂鬱な気分になることはなく、かと言って、特別なお祝いもすることはなく、おかげ様で、珍しく、ここインドで平和な誕生日を迎えることができた。

ただ、25日に25歳になったことによって、小さな変化が訪れた。

1つ目。周りからの言われよう。

働くためにインドに来た時は、私はまだ23歳だった。(正確には23歳と半年。)
和田アキ子が、「あの頃は、ハッ」と歌っているように、あの頃は本当に本当に、インド在住の日本人に会うごとに、「若い、若い」と言われていた。

あの頃、私のことを若いと呼んでいたあの日本人たちは、今ではもう、こんなことを言ってくる。

「おー。25歳か。四捨五入で30歳!」

Well, yeah, that is true.

25歳になると、こんなに周囲からの言われようが変わるのかと、 自分の身に起こっていることだけれども、なんだか客観的に見て、女性は大変だなあ、と思ってしまう。それと同時に、この変化を結構楽しんでいる。だって、こういう転換期はそう頻繁には訪れないから。

それに実は、もう「若い」と呼ばれなくなるということに関して、ほっとしている。

インドに来たばかりの頃は、" (インドにおける日本人社会において)とにかく若い女性"ということで、周りに言わせれば、私はチヤホヤされていたらしい。ただ、私から言わせてもらえ ば、"若い"から、自分の意見も言えなかったし、いつもニコニコしてなければいけなくて、辛かった。(多分、このことに反論があがるかもしれないけれど も。)少なくとも、仕事で成果を出しても、「成果が出たのは、自分の能力ではなくて、ただ若い女性であるからだ」という自己暗示があって、自分に全く自信 が持てなかった。

でも、もう、私は若くはないのだから、周りからチヤホヤされる必要もないし、つまり、周りを気にせずに好きなことを言えて、好きな行動をできる。ある程度までは。

それって、すっごく気が楽。だから、「四捨五入30歳」と言われても、全然気にしてない。強がっているように聞こえなければいいのだけれども。

それから2つ目の変化。私の成長。

インドに来てから25歳になるまでずっと、誰か(=99%の確率でおじさんたち)と一緒にご飯を食べる時は、 自分の分は奢ってもらうのが当たり前だと思って、財布を鞄から出すこともしなかった。正確に言うと、インドに来たばかりの頃は、もちろん自分の分を払おう としていたけれども、必ず一緒に食べる人たちに払ってもらってたから、それが当たり前のことなのだろうと思って、仕舞いには、財布を鞄から出すフリをする ことも、なんだか胡散臭い演技な気がしてきて、ただ単に「ありがとうございます!」と言って、毎回奢ってもらう次第であった。

だから、時々他の女性も混じって、おじさんたち(ほんの時たまーに、比較的若い男性たち)と一緒にご飯を食べる際に、なぜ他の女性たちが、"財布を鞄から 出すフリ"をするのか全く理解できなかった。だって、どうせいつもの、「私出します」「いや、いいよ、そんな」「いや、払います」「いや、今日誘ったのは こっちだから」「そうですか、すみません」のやり取りがあって、奢ってもらう、もしくは、男性にかなり多めに払ってもらうことになるのだから。

そんな面倒くさいやり取りをする必要なんてあるの?と、24歳と11ヶ月の頃までには思ってた。

でも、25歳になって、なぜか急に自分の考え方が変わった。

財布を出すフリをするようになった・・・ではなく、奢ってもらうのが、嫌になった。相手に申し訳ないから、自分の分を払いたい、というわけではなく、自分の立場を確保するために、ちゃんと自分の分は自分で払いたい、と思うようになった。

自立心、っていうやつ、きっと。

それで気づいた。 ああ、あの他の女性たちは、フリをしている訳ではなく、本当に払おうとしていたんだと。

色んな人から「お前、チヤホヤされて調子に乗っているんだろ!」とよく言われていて、いや、私はそんなことない、と反発していたけれども、今振り返れば、そう言われても、仕方がないのかもしれない。

調子に乗ってた私から迷惑を被った皆様、大変申し訳ございませんでした。謹んで、お詫び申し上げます。

とりあえず、もう自分の分は自分で払うものの、そうなると毎回誰かからのご飯の誘いを引き受けてしまうと、自分の財布の中が寂しくなってしまう。そんなわ けで、誘いの取捨選択を躊躇せずに行うことができるようになった。これも、自分の意志を尊重できている気がして、すごく嬉しい。年取って、良かったと思っ てる。

とにかく、25歳となった私はもう若くはないらしい。
24歳の君は若かった。若さは面倒くさいものだが、利用できるだけ利用してしまえ。
誰に何と言われようが、チヤホヤされて調子に乗ってても構わない。だって、それが若さだもの。

と、過去の自分を正当化している今日この頃である。

【動画】和田アキ子『古い日記』







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